三方よし

「三方よし」という言葉、聞いたことがあるかもしれません。

「売り手よし、買い手よし、世間よし」と言われ、近江商人の活動の理念を表しているものです。

この言葉の原点は、江戸中期の近江商人である中村治兵衛が1754年(宝暦4年)70歳の時に、家業を15歳の孫に託すため書き残した家訓「宗次郎幼主書置」によると言われています。

そこには、「自分のことよりもまずお客様のためを思って計らい、謙虚に身を処し、そこにいる人々のことを大切に思って商売をしなければならない」と記されています。(書置第8条から)

自分は謙虚に処し   売り手よし
お客様のため     買い手よし
人々を大切に     世間よし

まさに現在に伝わる「三方よし」です。

さて、近江とは現在の滋賀県は琵琶湖のあたりとなります。
近江商人の中村治兵衛は、現在の滋賀県東近江市五個荘町、琵琶湖東岸の近江八幡市の東の生まれでした。
近江商人とは、戦国時代後期織田信長治世の安土城下の「楽市楽座」が発祥ともされています。
そして、地域によって活躍しはじめた時代に違いがあります。

それは、次のとおりです。
高島商人 戦国末期から活躍(1600年頃~)
      現琵琶湖北西岸の高島市近辺

八幡商人 江戸初期から活躍(1603年頃~)
      現琵琶湖南東岸の近江八幡市近辺

日野商人 江戸中期から活躍(1700年頃~)
      近江八幡の南東の現滋賀県日野町近辺

湖東商人 江戸後期から活躍(1750年頃~)
      琵琶湖東岸の現彦根市の南西、滋賀県豊郷町近辺

近江商人の三方よしは、企業の社会的責任(CSR)が重要視されてきている現代において、日本では江戸時代から受け継がれてきている考え方が見直されていることにもなってきています。

では、このような倫理・道徳的な経営はどのように醸成されたのでしょうか。

一つのヒントは、中江藤樹にあるでしょう。

中江藤樹(1608~48)、江戸時代初期の陽明学者です。
近江聖人とたたえられ、出生の現高島市近辺では、藤樹に学んだ人たちが道徳的に生活していたことが伝えられています。

中江藤樹(先生)が日本で説き始めた陽明学は、二宮尊徳や山田方谷、吉田松陰、西郷隆盛、高杉晋作にも連なる行動学でもあり、道徳的に考え生きる軸となります。

企業の社会的責任(CSR)は、三方よし、そして中江藤樹にその源流を訪ねても良いかもしれません。

中江藤樹の教えは、地元の近江商人や門人によって広まり、伊勢や岡山、熊本などで発展し、幕末そして現代までに連なることになります。

過去のブログで、中江藤樹にも触れていますが、また掘り起こしてみましょう。
高島市には、藤樹ゆかりの藤樹書院、そして藤樹神社があります。

また訪ねたくなりました。

2021年7月5日 | カテゴリー : 基礎知識 | 投稿者 : hiko