対話とは、
向き合って、伝え合って、理解し合う話し合い
と、私たちは定義しています。
なぜこのように考えているのか
今回は、 向き合う について
話をするとき、
部下と、上司と、同僚と、お客様と、出入りの業者の人と、パートナーと、、、、
向き合えていますか?
何かの理由で、相手の方がそこにいることを尊重できているででょうか。
敬意を払えているでしょうか。
言い換えると、「自分はこうだ・・・」という思いが強すぎることはありませんか。
話しをする場には、当然ながら自分以外の人がいます。
相手がいてこその対話です。
対話とは理解し合う、というところまでができて対話と考えています。
言いっぱなしだったり、命令、高圧、傲岸、、、、そして結果として自分しか見えていない、相手がいないとの同じ(無意識の無視とでも言えるでしょう)といった状態では、理解し合うといった対話にはなりません。
何かの伝達会議では、言いっぱなしといった状態もあるでしょう。
向き合っている状態とは、例えば、
お互いが受け入れられ、尊重されていて、お互いの発することを快く受け止めるよう、心の準備ができている状態
と考えています。
向き合えているとお互いに信頼関係が育まれます。
対話の環境が器という表現をされることがあります。
対話の場にいる人たちのお互いの信頼関係、受け入れれている、何かしゃべっても良いのだという感覚が強くなると、器ができるといった表現となります。
対話の場、器は、向き合うことで育まれます。
では、向き合う、対話できるようになるにはどうすれば良いでしょうか。
意識できるようにして場数を踏む、、、のが一つの手段でしょう。
やり方を学んで実践するのも一つの手段です。