古典の力、日本や中国の古典からチームや組織の力を高める言葉に焦点を当てています。
第十弾、大学から
君子には挈矩(けっく)の道あるなり。上に悪むところ、以って下を使うことなく、下に悪むところ、以って上に事(つか)うることなかれ。
君子には「挈矩の道」つまり身近な一定の規準をとって広い世界を推し量るという方法がある。目上の人について厭だ思うことは、そんなやり方で召したの者を使ってはならないし、目下の者について厭だと思うことは、そんなやり方で目上の人に仕えてはならない。
自分が厭だと感じた感じ方で自分が他の人に接すると、された方も厭な思いをすることでしょう。
私も小さな頃から「自分が嫌な事は、しちゃだめ!」と親に言われたような記憶があります。
それでも、小さな頃は自分から嫌なことをしてしまったりしたこともあります。
社会人になっても、、、、、反省することしきりです。
相手の立場になって考えれば、感じれば判ることは多くあります。
相手が感じていることを体感で判って自分の行っていることに気づく練習もあります。
一定の規準を自分で読み取って、想像力で他の行動に活かせるならば、君子、になれるかは判りませんが良いことは多くあります。
以前の記事、第七弾でも似たようなことが出てきています。
思いやりは、想像力から生じるものでしょう。他の立場に立つ他者移入と言っても良いでしょう。
古典の中では、同じようなことが手を変え品を変え表現されています。
どの時点で自分が納得するかは、実は良く判りません。
冗長な内容も、様々な機会に触れてみるのも良いかもしれません。
一度読んで知っていたとしても、「それ知っているよ」と自己顕示して拒否する自我を、、、働かせないで、一拍おいて受け止めてみると、理解が深まるかもしれませんね。