古典の力、日本や中国の古典からチームや組織の力を高める言葉に焦点を当てています。
第六三弾、翁問答から
諸侯卿大夫の第一に守りおこなひてよき事は、謙の一字なり。
諸侯卿大夫、大名や朝臣のことです。現代に言い換えるとざっくりとリーダーでしょう。
リーダーが第一に守るべきことは「謙」である。
このように説いています。
謙、謙譲、謙虚、謙遜ですね。
役どころとして高位にあればこその「謙」なのでしょう。
翁問答、問答部分ををちょっと変えています。その続きです。
我くらいたかきにおごり自満する魔心の根をたちすて、義理の本心をあきらかにし、かりそめにも人をあなどりかろしめず、慈悲ふかく万民をあはれみ、諸士に無礼をなさず、家老、出頭のいさめをよく聞き入れ、我知恵をさきだてず、善をこのむ事は公職をこのむごとく、悪をにくむことは悪臭をにくむごとくなるを謙と言うなり。
古典の力、日本や中国の古典からチームや組織の力を高める言葉に焦点を当てています。
第六二弾、易経から
大有(だいゆう)は柔尊位を得、大中にして上下これに応ずるを大有と曰う。
リーダーが謙虚で、部下や上司がリーダーに呼応してのびのびと活躍する。リーダーがチームの大いなる力を所有するが故に大有という。
易経は、様々な変化の法則を説いた中国の古典です。
変化の法則の中には、組織論も出てきます。
易経が言う、チームワークを発揮している時のリーダー像、易経が勧めるリーダー像は、この「火天大有」の卦で表現されています。
それは、謙虚で他の部下や上司の活躍を引き出す役割となることです。
それでいてリーダーとしてチームがまとまっている、そのようなチームのリーダーが理想と説いています。
現代にすると、サーバントリーダーシップというところでしょう。
三千年も前のリーダー像と現代最新のリーダー像、なぜだか似たものになってきたようです。
状況別リーダーシップという表現もありますね。
状況別、、、、変化に対応するということです。
変化には易経ともなります。
古典の力、日本や中国の古典からチームや組織の力を高める言葉に焦点を当てています。
第六一弾、論語から
士は以て弘毅ならざるべからず。任重くして道遠し。
士人はおおらかで強くなければならない。任務は重くて道は遠い。
士は上位にある人、リーダーです。
リーダーは度量がひろくておおらかで強い、そんな人でなくてはならない。
リーダーの任務は重くて、その道は遠いから。
古典から見たリーダーの姿勢、その第二弾です。
徳川家康も似たような表現をしていますね。
重き荷物を負うて、、という感じです。
上に立つ人、上に行けば行くほど、その任務は重いものだと意識が必要です。
古典の力、日本や中国の古典からチームや組織の力を高める言葉に焦点を当てています。
第六〇弾、雑阿含経から
良馬は鞭の影を見て走り出す
良い馬は、鞭の影を見て走る
「一を聞いて十を知る」ということわざがあります。
ちょっとしたことを聞いただけで、たちまちいくつものことを理解了解してしまうということです。
易経では、兆しを観るという考え方もあります。
二宮尊徳も、米の不出来をちょっとしたことで悟って芋を作らせるように指導をしました。
何かの影みたいなことに反応して、考え動くことはリーダーにとって大切なことです。
この話四馬という話です。もう少し取り上げたいですね。
古典の力、日本や中国の古典からチームや組織の力を高める言葉に焦点を当てています。
第五九弾、論語から
子、四を絶つ。意なく、必なく、固なく、我なし。
先生は四つのことを絶たれた。勝手な心を持たず、無理押しをせず、執着をせず、我を張らない。
わがままの心を持たず、無理強いもしない。執着もしない。
孔子は、こういった点に気をつけて自分を律してコントロールしていたということです。
そのまま現代にも通じるのではないでしょうか。
古典の力、日本や中国の古典からチームや組織の力を高める言葉に焦点を当てています。
第五八弾、易経から
善を積むの家には、必ず余慶(よけい)あり。不善を積むの家には、必ず余殃(よおう)あり。
善を積んだ家ではかならず福が子孫に及ぶ。不善を積んだ家ではかならず災いが子孫に及ぶ。
因果応報、善因善果、悪因悪果です。
より正確には、善の積み重ね、日々の善の行いが福を呼ぶということです。
自分を省みると、思うところがじわっと出てくるかもしれませんね。
古典の力、日本や中国の古典からチームや組織の力を高める言葉に焦点を当てています。
第五七弾、大学から
好みてもその悪を知り、悪(にく)みてもその美を知る
好きな相手でも同時にその欠点をわきまえ、嫌いな相手でも同時にその長所をわきまえる
こういった公正な判断ができる人は少ない。
様々な偏見(敬うものにひかれすぎる、あわれむものにひかれすぎる、見下すものにとらわれすぎる)といったことを述べています。
公正であることが、自分の身を修めるために大切であることを説いています。
古典の力、日本や中国の古典からチームや組織の力を高める言葉に焦点を当てています。
第五六弾、老子から
天網恢恢疎にして失わず (てんもうかいかい そにしてうしなわず)
天網恢恢疎にして漏らさず とも言います。
天の法網は広々と大きく、目は粗いが、なにごとも見逃すことはない。
「悪いことをしていてもお天道様が見ているよ」と子どもの頃聞いたおぼえがあります。
悪いことをすると、何より自分が悪いことをしたのを知っている。そして天も見ているという訳です。
そして悪いことをすると天罰が下る訳ですね。
悪は栄える試しは無い、といった脈絡で良く使われます。
そこも含んだ上で「天の道理は計り知れなくうまくできている、大切なものは漏らさない。」ということです。
古典の力、日本や中国の古典からチームや組織の力を高める言葉に焦点を当てています。
第五五弾、言志四録から
憤の一字は、是れ進学の機関なり。舜何人ぞや、予(われ)何人ぞやとは、方(まさ)に是れ憤なり。
発憤の「憤」という字は成長のエネルギー源である。舜も人である自分も人である何するものぞ、こういった考えはまさに、発憤しているということである。
成長するのに、物事をすすめるのに、何が一番必要かと問われるとどのように答えますか?
理性、知識、学習欲、などなど上がるかもしれません。
ここでは進学としていますが、物事を進め成長する機関、エンジンとなるものは
情熱
であると指摘しています。
この時代(江戸後期)の言葉で一字にすると「憤」となります。
古代中国の聖人君子には、舜という偉大な人がいたそうです。
偉大な舜も何するものぞ、自分も何かの人になる。という情熱、心意気が動くためのエンジンになります。エンジンへの燃料かもしれません。
理性や知識も、「何かになるぞ」「するぞ」「自分から動くぞ」といった情熱の上で活用されてこそ、より輝くのではないでしょうか。
古典の力、日本や中国の古典からチームや組織の力を高める言葉に焦点を当てています。
第五四弾、易経から
君子は其の身を安くして後動き、其の心を易くして後語り、其の交わりを定めて後求む。
優秀なリーダー(君子)の3条件、味方を増やす3条件です。
1.自分の身を安全にしてから動く
2.心を落ち着かせ良く考えてから、判りやすい言葉で語る
3.誠意あるやりとり(交流)ができてから、自分のして欲しいことを求める
今でも十分に通じる話ですね。
易経で、これに続く話は、なぜかというところです。
この時代のリーダーは、戦争や領主としての民や兵の統率・リーダーシップが語られています。
その色合いもあり、、、、
・リーダーの身が危ういままだと誰も味方しない
・心が落ち着かず、相手を恐れたり疑ったりして話すと相手は応えない
・心の交流なしに相手に要求しても相手は応えない
こう続きます。
言い換えると
・無謀、危険過ぎると誰もついて行けない
・感情にまかせる、疑いすぎる、思いつき、判らない言動では相手が応えられない
・信頼の構築無しに要望・命令しても、相手は思った行動や応答をしない
こんなところです。
リーダーとしては、自分に共鳴して動いてもらえる味方が一人でも多い方が目的・目標に近づきます。