古典の力、日本や中国の古典からチームや組織の力を高める言葉に焦点を当てています。
第三弾、易経の文言伝から
元は善の長なり。君子は仁を体すれば、以って人に長たるに足り。
(げん)
元は万物を生成する始め。季節にすれば春。人間の徳で言えば仁にあたる。仁は人を愛することであるから仁は善の最高、善の長という。
人の上に立つ人は、仁愛(思いやり、慈しみ)を体現すれば人の上に立つ人として足りる。
易経は、中国に4000年も伝わる「時と兆しの専門書」です。
街角で竹ひごの束のような筮竹(ぜいちく)を使って占いをする人のに関係がありそう、、といった連想が浮かぶかもしれません。
易経の中にも、人や組織を高める言葉はたくさんあります。
孔子も仁愛は大切だとは触れていますが、はるかその前に、最高の善とする思いやりを体現した人こそが上に立つ人であると言っています。
上に立つことによる厳しさも、仁愛を踏まえないと人の上には立てないということです。
易経で示される変化の原則、徳は4つあります。 そのうちの一つ目、ものの始まり、生じる春が「元」(げん)です。
古典の力、日本や中国の古典からチームや組織の力を高める言葉に焦点を当てています。
第二弾、論語 巻第五から
厩焚(や)けたり、子、町より退きて曰わく、人を傷(そこな)えりや。馬を問わず。
厩が焼けた。先生は朝廷からさがってくると、「人にけがは無かったか。」と言われて、馬のことは問われなかった。
事故なり、突発的なことは起こります。
「人にけがは無かったか?」「大事無いか?」
と、突発事でも自分のことを気にかけてもらっていることが判ると、どんな感じがするでしょうか。
その人について行きたくなる。
信じても良いかな。
といった感情が増してくるのではないでしょうか。
これが、突発事に「商品は大丈夫か?」「備品は大丈夫か?」のような言葉を聞いてしまうと、、、、
この人について行っても良いのかな?と疑問が湧いてきます。心が離れてゆくとも言えるでしょう。
心が離れるよりも、心が近いと感じているチームに活力はあります。
リーダーのいたわる心を示しているでしょう。
古典、日本や中国の古典には、個人を高める様々な箴言があります。
そして、チームや組織の力を高める言葉、今新たに見直されている考え方も多くあります。
チームや組織の力を高める古典の力、古典の力を活用するシリーズです。
第一弾は、論語から
巻第三
子の曰わく、これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。
知っているというのは好むのには及ばない。好むというのは楽しむのには及ばない。
知識よりも、好きこそものの上手なれ。そして、好きであることは楽しむ感覚であるのに及ばない。
楽しんで取り組むのが一番、ということです。
楽しむとものごとがうまく流れる、「フロー」の要諦を示しています。