ジーシフトのブログです。
基礎知識やお知らせなど、いろいろと投稿していきます。
株式会社ジーシフト(G・Shift)
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スキルや活動の実践サポートアニメ、「賢い」シリーズです。
今回は、「交渉」についてとなります。
交渉事は意外とよくあるように思えます。
子供の頃だと、親への小遣い交渉とか。ビジネスの現場であると営業活動がまさにそうかもしれません。
自分の希望や思惑があり、何らか相手に自分の希望を叶えてもらうことはすべて交渉と言ってもよいでしょう。
交渉事にも様々な定石などがあります。今回の動画はちょっとした交渉、そしてその課題となったことを考えてみる動画となります。
この動画をネタにして、自分の交渉事について思いをめぐらせてみてはいかがでしょうか。
ご利用いただけたらうれしいです。
「企業は社会の公器」との言葉は、松下幸之助やドラッカーが述べています。
また、商売が売り手と買い手だけでは無いという考え方は「三方よし」に顕れている近江商人から続く考え方です。
企業は社会の中でどのような存在であるのか?
この問いをひもとくために、ドラッカーに立ち戻ってみましょう。
マネジメントという領域はドラッカーが、創始したと言っても過言ではありません。
マネジメントにおける知の巨人です。
では、ドラッカーがマネジメントに最初に取り組む際、参考にしたものは何なのでしょうか?
それが、ご紹介する「メアリー・パーカー・フォレット」です。
ドラッカーは注目する経営学者として3人を挙げています。そのうちの一人がフォレットです。
ドラッカーがマネジメントに取り組む際、非常に影響を受けた人となります。
メアリー・パーカー・フォレット
1868年(明治元年)~1933年(昭和8年)
ドラッカーは、フォレットの死後となる1950年代にマネジメントを志し、彼女の論文・著作をひもといたということです。
今回ご紹介する本は、
「M・P・フォレット 管理の予言者」です。
ドラッカーが序説を書き、その序説の標題がそのまま書名となりました。
フォレットの主張は、数多く示唆に富むものがあります。
ここでは、社会における企業に着目します。
本書の第11章「社会におけるビジネス」は、1925年(大正14年)11月のフォレットの講演を元にしています。
そこでは、
企業は人のためになる(altruism:利他主義)活動そのものが社会に対する奉仕(Service)である、
と説いています。
企業活動は金儲けだけではない。
企業活動とは別に社会に向けた活動を行う、ということでも無い。
社会の中に企業があり、企業は社会の機能の一つであり、企業は社会の機能・責任を果たす、
といったことを説いています。
フォレットの論じたことは、この本で概観できるかもしれません。
和訳については何冊かがなされていますが、創造性や社会国家に向けた内容など、本の表題や章立てのテーマからは身近に感じることができないところにも、ビジネスや個人の成長、組織のありかた、など示唆に富むところが数多くあります。
例えば、コンフリクトは相反すべき物では無く統合すべき物である、といったことなどです。
脱線しますが、二宮尊徳の一円観、善悪、禍福などのひとつの円に入れて考える、つまりは統合することにも通じています。
この本をきっかけにして、フォレットの説、その世界に触れてみてはいかがでしょうか。
「三方よし」という言葉、聞いたことがあるかもしれません。
「売り手よし、買い手よし、世間よし」と言われ、近江商人の活動の理念を表しているものです。
この言葉の原点は、江戸中期の近江商人である中村治兵衛が1754年(宝暦4年)70歳の時に、家業を15歳の孫に託すため書き残した家訓「宗次郎幼主書置」によると言われています。
そこには、「自分のことよりもまずお客様のためを思って計らい、謙虚に身を処し、そこにいる人々のことを大切に思って商売をしなければならない」と記されています。(書置第8条から)
自分は謙虚に処し 売り手よし
お客様のため 買い手よし
人々を大切に 世間よし
まさに現在に伝わる「三方よし」です。
さて、近江とは現在の滋賀県は琵琶湖のあたりとなります。
近江商人の中村治兵衛は、現在の滋賀県東近江市五個荘町、琵琶湖東岸の近江八幡市の東の生まれでした。
近江商人とは、戦国時代後期織田信長治世の安土城下の「楽市楽座」が発祥ともされています。
そして、地域によって活躍しはじめた時代に違いがあります。
それは、次のとおりです。
高島商人 戦国末期から活躍(1600年頃~)
現琵琶湖北西岸の高島市近辺
八幡商人 江戸初期から活躍(1603年頃~)
現琵琶湖南東岸の近江八幡市近辺
日野商人 江戸中期から活躍(1700年頃~)
近江八幡の南東の現滋賀県日野町近辺
湖東商人 江戸後期から活躍(1750年頃~)
琵琶湖東岸の現彦根市の南西、滋賀県豊郷町近辺
近江商人の三方よしは、企業の社会的責任(CSR)が重要視されてきている現代において、日本では江戸時代から受け継がれてきている考え方が見直されていることにもなってきています。
では、このような倫理・道徳的な経営はどのように醸成されたのでしょうか。
一つのヒントは、中江藤樹にあるでしょう。
中江藤樹(1608~48)、江戸時代初期の陽明学者です。
近江聖人とたたえられ、出生の現高島市近辺では、藤樹に学んだ人たちが道徳的に生活していたことが伝えられています。
中江藤樹(先生)が日本で説き始めた陽明学は、二宮尊徳や山田方谷、吉田松陰、西郷隆盛、高杉晋作にも連なる行動学でもあり、道徳的に考え生きる軸となります。
企業の社会的責任(CSR)は、三方よし、そして中江藤樹にその源流を訪ねても良いかもしれません。
中江藤樹の教えは、地元の近江商人や門人によって広まり、伊勢や岡山、熊本などで発展し、幕末そして現代までに連なることになります。
過去のブログで、中江藤樹にも触れていますが、また掘り起こしてみましょう。
高島市には、藤樹ゆかりの藤樹書院、そして藤樹神社があります。
また訪ねたくなりました。
二宮尊徳、お名前は耳にしたことがあると思います。
江戸後期の小田原藩、酒匂川の下流である現在の小田原市栢山(かやま)で生まれました。
二宮金治郎(通称)の銅像は、幼い頃小学校や中学校で見かけたことがあるかもしれません。
薪を背負って本を読んでいる、勤勉の像を憶えているのではないでしょうか。
二宮尊徳は、農家の出自で後年には幕臣にまでなりました。
その功績は、一言にすると「経済復興」です。
小田原藩という御家の再興を手がけたことが大きなきっかけとなり、小田原藩の経済、つまり
農民の労働と生産の結果である年貢を増やし、藩の経営を安定させました。
小田原藩では、荒れて年貢の取れない農地、そして農民の心を変え農産物を豊かにし、
年貢をきちんと納めることから力を入れています。
この小田原藩の復興に見られる方法は、「報徳」という考え方に基づいています。
小田原藩の復興が成った時、尊徳は時の小田原藩主大久保忠真からどのようなやり方を
行ったのか尋ねられました。
尊徳は、「荒れ地には荒れ地の力があります。荒れ地は荒れ地の力で起こしました。
人もそれぞれ良さや、取り柄があります。それを活かして村を興しました。」と答えました。
これを受けて殿様が、「そのやり方は論語にある『徳を以て徳に報いる』ということ」と
感想を述べたそうです。ここから、尊徳は「報徳」という考え方で自分の実践を形作るこ
とになります。
尊徳は、物や人に備わる良さ、取り柄、持ち味のことを「徳」と名付け、これを活かして
社会に役立てていくことを「報徳」と呼んでいます。尊徳は、あらゆるものに徳があると
考えています。これを「万象具徳」(ばんしょうぐとく)と言います。
最後に、万象具徳の詩(作:小田原報徳博物館 元館長 佐々井典比古氏)をご紹介します。
どんなものにも よさがある
どんなひとにも よさがある
よさがそれぞれ みなちがう
よさがいっぱい かくれてる
どこかとりえが あるものだ
もののとりえを ひきだそう
ひとのとりえを そだてよう
じぶんのとりえを ささげよう
とりえとりえが むすばれて
このよはたのしい ふえせかい
(「ふえせかい」とは、限りあるものから限りないものが生まれる世界の意)
弊社は、「役を立てる」というコンセプトで活動しています。
この「役」と、二宮尊徳の「徳」は、ほぼ同じようにも思えています。
看護専門誌に解説記事を掲載させていただくことになりました。
ナーシングビジネス(メディカ出版)
2021年8月号(2021/7/14発行)
第2特集「師長の腕のみせどころ 院内交渉術を身につける」
師長が院内で交渉やマネジメントを行う際の手法についての解説となります。
リーダー職である師長の皆さんが、院内で様々な交渉を行う場面の手法を取り上げます。
例えば、ハラスメントになりそうな状況下の交渉、家族との交渉、そしてウィンウィンになる基本などです。
来月出版されます。書店で手に取っていただけたらうれしいです。
写真はナーシングビジネスの6月号表紙です。掲載される8月号はもう少し先ですね。