古典の力(43)愛敬

古典の力、日本や中国の古典からチームや組織の力を高める言葉に焦点を当てています。

愛敬、愛嬌(あいきょう)ではありません。
愛敬、熟語の読みとしては「あいぎょう」です。いつくしみ敬うことです。あいけい、で読む方が馴染みがあるのですが、、、

第四三弾、孝経から

親を愛する者は、敢て人を悪まず。親を敬する者は、敢て人を慢(あなど)らず。

親を愛する者は、必ずその親を愛する心を推し広めて他人を愛するから、決して他人を憎んだりしない。親を敬する者は、必ずその親を敬する心を推し広めて他人を敬するから、決して他人を軽蔑したりしない。

親孝行者が、表彰され非常に尊敬されるといったことを歴史上の事柄として見聞きすることがあります。
儒教の影響によるところも大きいのでしょう。
現代でも、「できた人」が実は親孝行していることも良く聞きます。

親へのかかわり方は、一事が万事、他人へのかかわり方の鏡かもしれません。

親へも「孝」を尽くそうと考えて行動しているならば、他の人へも「孝」を他人なりのかかわりの中で尽くそうと、行動や態度ににじみ出ることを指摘しています。

古典の力(42)登用

古典の力、日本や中国の古典からチームや組織の力を高める言葉に焦点を当てています。

第四二弾、中江藤樹 翁問答から

人間に用にたたぬものはなきものにて候。大工の家をたつる材木のつかひようにて合点あるべし。

(お判りとは思いますが、、、、)

用に立たない人間などはいない。大工が家を建てる際の木材の使い方が人材登用のコツとして納得できるであろう。

翁問答は、知恵者の翁・おじいさんにいろいろとアドバイスをもらう物語です。

このくだり、「臣下をばいかにつかいたるがよく御座候や。」といった問いに対するアドバイスです。

人にもいろいろいるよ、公明正大で慈愛をもって、さらに選び捨てるようなことはしないのが良い。
道徳才智のある人を上に、才徳無くても良いところはある。才智抜群でも不得手が必ずある。

といったアドバイスになります。

「木のいのち木のこころ」でも、人や人組のポイントを木や建物で表現していました。

適材かどうかよく観て、そして適したところで働くのが、昔も今も良いようです。

古典の力(41)因果

古典の力、日本や中国の古典からチームや組織の力を高める言葉に焦点を当てています。

第四一弾、二宮先生道歌選から

苦と楽と花さく木々をよく見れば 心の植ゑし実の生えしなり

(一読して読めるとは思いますが、次のような感じでしょうか)

現在の自分の苦や楽の状況をよくよく見てみると、自分自身の心が植えた苦の種楽の種の実がなっている

楽であるのは楽の種を撒いた結果
苦であるのは苦の種を撒いた結果

ということを示しています。

因果応報と一言にまとめ込むよりもこの方が、すっと入ってくるかもしれません。
ちなみに、因果応報は、善因善果であり悪因悪果ということです。

原因と結果の法則 の方が受け取りやすければそちらでも良いでしょう。

犬が西向きゃ尾は東  といったところでしょうか。

そして、苦の種を撒く瞬間が知覚できれば、、、、、どうにかなるかもしれません。

古典の力(40)かかわりを考える

古典の力、日本や中国の古典からチームや組織の力を高める言葉に焦点を当てています。

第四〇弾、孟子から

父子に親しみあり、君臣に義あり、夫婦に別(くべつ)あり、長幼に序(じゅんじょ)あり、朋友に信(まこと)あらしむ

親子の関係では親しむように、君臣の関係では義があるように、夫婦の関係では区別があるように、年長年下の関係では順序があるように、友達においては信頼関係があるように

原文は、

父子有親、君臣有義、夫婦有別、長幼有敍、朋友有信

となり、人倫を教える時には何を教えるかというくだりとなります。

昔から、倫理や徳性を考える際には、人と人とのかかわりに注目していたようです。

では、親とは何か、義とは何か、別とは何か、序とは何か、信とは何か

そして、今において、どうあったらよさそうか、一筋縄ではいかないようです。

少しずつ、もっと深めましょう。

古典の力(39)反省

古典の力、日本や中国の古典からチームや組織の力を高める言葉に焦点を当てています。

第三十九弾、論語から

曾子の曰わく、吾れ日に三たび吾が身を省る。

吾れ日吾が身を三省す。でもシンプルですね。

曾子が言った、私は毎日何度でも吾が身について反省する。

1日に何度でもです。
ちょっとした区切りでも、「ああすれば良かった」ということは、確かにたくさんあります。

ここでは、どのような事を反省しているでしょうか。
自分のまごころについて、誠実さについて、習熟していなことを教えたのではないか

どきりとすることが続きます。

古典の力(38)口出し

古典の力、日本や中国の古典からチームや組織の力を高める言葉に焦点を当てています。

第三十八弾、老子から

大国を治むるは、小鮮を烹(に)るが若し。

大国を治めるのは、小魚を煮るようにする。

煮魚、調理したことはありますか?
鍋に水、みりん、醤油、みりんでしょうか。
ことこと煮ます。汁が行き渡るようにします。
ひっくり返したりもするかもしれません。

魚が小さいと、ひっくり返す時に頭が取れてしまったり、崩れてしまったりします。
大きな魚よりも、小さな魚の方が扱いが難しいです。

小さな魚は、ひっくり返すなど余計なちょっかいをせずに、じんわりしみこむようする方が良いでしょう。

大国、国だけでなく、会社や組織、自分のチームを治める時も、リーダーが「やいのやいの」とつついてばかりでは、じっくりとのびのびと良い活動ができません。結果、創造性も生産性も上がらないでしょう。

口出しをするのではなく、小魚を煮るように、味付けをしたらじっくりとうまくできあがるのを待ちましょう。

古典の力(37)体験学習

古典の力、日本や中国の古典からチームや組織の力を高める言葉に焦点を当てています。

第三十七弾、論語から

子の曰わく、学んで思わざれば則ち罔(くら)し。思うて学ばざれば則ち殆(あや)うし。

先生がいわれた、学んでも考えなければ、ものごとははっきりしない。考えても学ばなければ危険である。

本や外部からの情報だけで判ったような気がしても、自分で考えなければ借り物の知識です。
また、自分の独断だけで考えたものを盲信するだけでも危険であると言っています。

知識を実践する。実践を知識や情報と照らし合わせる。

知識と実践とで自分を高めるためには、両輪が必要です。
体験から学ぶ体験学習の神髄も見いだされます。

古典の力(36)足元

古典の力、日本や中国の古典からチームや組織の力を高める言葉に焦点を当てています。

第三十六弾、孟子から

道は爾(ちか)きに在り、而(しか)るにこれを遠きに求む。事は易(やす)きに在り、而るにこれを難きに求む。

遠大で困難なことより、足元の身近なことにこそ、真の道の出発点はある。

学習する組織、も良いのですが、身近な報連相はできていますか?

報連相の前に、あいさつはわき起こっていますか?

あいさつの前に、、、、、

遠くの目標や夢、難しそうな事も、身近に始められる事から続いています。
言い方を変えると、今出来ることから始められない目標には行けません。そして、一足飛びにも行けません。

古典の力(35)基準

古典の力、日本や中国の古典からチームや組織の力を高める言葉に焦点を当てています。

第三十五弾、二宮先生道歌選から

見渡せば遠き近きはなかりけり 己おのれが住処にぞある

遠いと言っても、近いと言っても、東西南北と言っても、自分を基準にした表現です。

自分基準の利害得失だけではなく、それぞれがそれぞれの基準で考えています。

と言うことは、相手の基準や物差し、距離感もあります。
全体を見渡して、様々な基準、多様な基準があることを意識することが必要です。

古典の力(34)浸食

古典の力、日本や中国の古典からチームや組織の力を高める言葉に焦点を当てています。

第三十四弾、易経から

臣その君を弑(しい)し、子その父を弑(しい)する、一朝一夕の故にあらず。

部下がその主君を殺害したり、子がその父親を殺害する、こういったことは一朝一夕に起こることではなく、かならず悪い積み重ねがあって起こることである。

最悪の結果は、いきなり起こるという訳では無いこともあります。
日々の積み重ねで、少しの行き違いや悪いことが、積み重なり積み重なりして最悪の結果へと繋がってゆきます。
従って、少し悪い、霜が積み重なり固く踏み重ねられるようなことに気が付いて、正すことが必要になってきます。