古典の力(33)徳治

古典の力、日本や中国の古典からチームや組織の力を高める言葉に焦点を当てています。

第三十三弾、翁問答から

徳治は先我が心を正しくして人の心をただしくするもの也。たとへば大工のすみがね、その体ろくにして、もののゆがみをなをすがごとし、法治は我心は正しからずして、人の心をただしくせんとするものなり。

徳治とは、まずは自分の心を正しくして人の心を正しくする治め方である。たとえば、大工の墨曲尺というまっすぐな道具をもちいて、もののゆがみを直すようなものである。法治は自分の心は正しくは無いけど、人のこころを正しくしようとするものである。

自分が出来ていないことは、なかなか人に注意できるものではありません。
自分の心を正しくすると、大工の定規のようにゆがみを直すがごとく、人のゆがみを直すことができます。

では、その定規とは、、、、翁問答や藤樹先生の言説に触れると分かりますが、一つは孝行となります。
また、触れる機会もあるでしょう。

古典の力(32)法治

古典の力、日本や中国の古典からチームや組織の力を高める言葉に焦点を当てています。

第三十二弾、翁問答から

本をすてて末ばかりにておせむるを法治といひて、よろしからず。法治はかならず箇条あまたありてきびしきものなり。法治はきびしきほどみだるるものなり。

本質を見ないで枝葉末節のようなことで治めることを法治と言って、良くない。法治は、かならず多くの条文があり厳しくこれを守らせる治め方である。法治が厳しいほど世の中は乱れる。

ルールがありすぎるところ、そのルールを金科玉条のようにかならず守れ守れとするようなところは、ルールで縛り治めようとする姿勢のあるところです。これを法治と呼んでいます。

厳しすぎる、多すぎるルールでは、ルールを憶える、ルールに気を遣う、ルールを守ることに消耗してしまいます。
また、多すぎるが故に普通の生活ができず、「まぁいいや」とルール違反を犯します。

多すぎるルール、厳しすぎる治め方には問題があります。

古典の力(30)本分

古典の力、日本や中国の古典からチームや組織の力を高める言葉に焦点を当てています。

第三十弾、中庸から

天の命ずるをこれ性と謂う。性に率(したが)うをこれ道と謂う。

天が、その命令として人間や万物のそれぞれにわりつけて与えたものが、それぞれの本性(もちまえ)である。その本性(もちまえ)のあるがままに従ってゆくとそこにできあがるのが、人として当然ふみおこなうべき道である。

こつこつと物作りをするのが得意な人がいます。リーダーシップを発揮するのが得意な人がいます。細かい目配りや計算が得意な人がいます。脚光を浴びるといっそう創造力豊かになる人がいます。

何でもうまくこなせる人は、、、いないと言っても良いかもしれません。
どこかに得意があって、どこかに不得手があります。
だからこそ、得意なところを集めてチームワークを組みます。

得意なところを意識して強めてゆくと、得意なところ良いところを前面に出して行動してゆくと、自ずと結果が突いてきたりします。そして次への活動が開けたりします。

それぞれの良いところ、伸ばした方が自然にうまくいきます。

古典の力(31)逆説

古典の力、日本や中国の古典からチームや組織の力を高める言葉に焦点を当てています。

第三十一弾、老子から

自ら見ず、故に明らかなり。自ら是とせず、故に彰(あら)わる。自ら伐(ほこ)らず、故に功有り。自ら矜(ほこ)らず、故に長し。

みずから見識ありとしないから、ものごとがよく見える。みずから正しいとしないから、是非があきらかになる。みずから功を誇らないから、功がたもてる。みずから才知を誇らないから、長続きする。

ごく自然に腰が低い人は、あまり誇りません。あまり正しさを言いつのらない方が、正しさがより際立つようです。

ものが窪んでいるからこそ満たすことができ、破れているからこそ新しくできる。とも言っています。

逆説的なことが、却って真っ当なのかもしれません。

古典の力(29)本読み

古典の力、日本や中国の古典からチームや組織の力を高める言葉に焦点を当てています。

第二十九弾、二宮翁夜話から

道は書物にあるのではなく、行いにある。

下男が芋種を埋めて、その上に芋種と書いた木札を立てた。翁は、札の文字によって芋種を掘り出して、畑に植えて作ればこそ食物になる。
道も同じく目印の書物によって、道を求めて身に行って、はじめて道を得たことになる。そうしなければ、ただの本読みに過ぎない。

組織力アップだけではなく、書物を読んだり知識を得ることは多くあります。

読んで終わりでしょうか。読んで判った、、、つもりにはなります。
読んでいるのは、知識のためで良ければ目的は完了かもしれません。

読んでいるのは、何かを変えるためなのであれば、、、、読んだことをきっかけにして行動するのが目的にかなっています。

古典の力(28)あらわれ

古典の力、日本や中国の古典からチームや組織の力を高める言葉に焦点を当てています。

第二十八弾、老子から

大道廃れて、安(ここ)に仁義あり。

大いなる道が廃れだして、それから仁義が説かれるようになった。

何かが廃れ始めると、それを補うように出始める言葉や物事があるようです。

孝行息子に慈しみ深い親が出てき始めたのは、家族が不和になったからだ、と老子でも続けて説いています。

組織やチームで、会社の鏡のようだといった英雄や、XXが大切だ(品質とかスピードとか)とされている事柄があるかもしれません。

もしかしたら、それは何かが廃れだしている「あらわれ」の可能性もあります。

あらわれているものに焦点を当てるのも良いのですが、何が廃れているのかを考え抜くことも進歩へのきっかけになるかもしれません。

古典の力(27)勇気

古典の力、日本や中国の古典からチームや組織の力を高める言葉に焦点を当てています。

第二十七弾、論語から

義を見てせざるは勇無きなり

行うべき事を前にしながら行わないのは、臆病である。

役職として、役割として、時機として、行うべき事は様々にあります。

やろうと思えばできるのに、「まぁいいかな」という気持ちになることもあります。
しかし、行うべき事を行える時にしていないと、後で後悔することもありますね。

後悔するぐらいであれば、行うべき時にびしっとやる。

さっき、自分が行えば良かった。
さっき、部下に注意すれば良かった。
さっき、グループに喝を入れれば良かった。

行うべき時に、勇気を持って、行いましょう。

古典の力(26)ベスト

古典の力、日本や中国の古典からチームや組織の力を高める言葉に焦点を当てています。

第二十六弾、明治の仏教家 清沢満之の言葉から

天命に安んじて人事を尽くす

ベストを尽くせとは良く聞かれる言葉です。
また、人事を尽くして天命を待つともよく聞きます。

松井秀喜やイチローのような一流選手が語る、ベストを尽くすことに関しての言葉は、

 どんな状況でもベストを尽くす

といった表現になるようです。

自分自身でベストを尽くしたから結果よやってこい、というよりは、

どのような状況であっても、それを受け入れて自分のできうることのベストを尽くす。

今回の言葉の主旨です。

時には流れがある、なにかモノゴトには流れがある、自分の置かれている立場や自社の状況もよくよく考えてみれば流れがある中で何かしらを尽くそうとしています。

尽くすのであれば、置かれている状況の中でベストを尽くす。

この考え方の方が、私には納得できます。

古典の力(25)時処位

古典の力、日本や中国の古典からチームや組織の力を高める言葉に焦点を当てています。

第二十五弾、翁問答から

しおき法度の箇条は、、、時と所と位に相応したる道理にしたがひたるがよく候。

管理のルールは、時と所と位にふさわしい道理に従うのが良い。

翁問答、著者は中江藤樹、藤樹先生です。

藤樹先生は、コトを起こす行動指針として「時処位 じしょい」をよくよく考えるのが良いと定めています。

時 ことを行うのにぴったりの適した時、タイミング、時宜

処 ことを行う対象、場所

位 分際、役割

時処位の考え方、様々なところに応用できます。

リーダーとして時処位に応じて行動する。
社長の判断を、時処位を念頭に置く。

などなど。

翁問答でも時処位の例として、田植えの例や、管理ルールなど面白い解説が出てきます。

いつ、何に、どんな立場・役割で、何を行うのが良いのかを考える。
苗を植えるのに、時処位が良くても、、、、後で手入れをしないと稲は実りませんね。

古典の力(24)高まる考え

古典の力、日本や中国の古典からチームや組織の力を高める言葉に焦点を当てています。

第二十四弾、論語から

子夏が曰わく、博(ひろ)く学びて篤く志し、切に問いて近くに思う、仁其の中(うち)に在り。

子夏が言った、「広く学んで志望を固くし、迫った質問をして身近に考えるなら、仁の徳はそこにおのずから育つものだ。」

他人事(ひとごと)のように意見を言う人がいます。悪し様に評論家のよう、といった言い方もするでしょう。
仁の徳が高まるには、広く学んで、本質に差し迫るような質問をする。そして、モノゴトに対して身近に、自分のことのように考えたら自ずと育つと言います。

自分のチームのことでも、自分の会社のことでも、他人事のように言う人がいます。
自分に関係のなさそうなことでも、自分のことのように考える人もいます。

お客様の身になって考える、お客様の目線で考えるということも良く聞くようになりました。
コミュニケーションにおいても、相互理解のため、思いやるためには、自己移入の能力が重要とされてきています。

自分が当事者であるかのように考えることが、仁の徳を高める一歩になるようです。