学習する組織(03)順番

学習する組織学習する組織の5つの学習領域、

学び続け変化成長し続ける組織は、5種類の学びの方向性を持っているとしています。

システム思考
共有ビジョンの構築
メンタルモデルへの対処
チーム学習
自己マスタリ

システム思考という手法が有名になってきています。
ループ図とかが書けるようになるのも一つの目標です。

「学習する組織になりたい」と考えた時に、「システム思考だけ学べば良い」と考えるのはちょっと短絡的です。

一人で賢くなるだけであれば、ループ図の書き方を先に学ぶのも良いかもしれません。

しかし、ここで表現しているのは   学習する「組織」 です。

私と、あの人とその人と、皆と学び続け変化成長してゆくには、

 自分の取り組み   と  皆での取り組み  が必要です。

さらに、5種類の学びの方向性には、前提となる関係があります。

例えば、共有ビジョンの前には、自分のビジョンがある程度見えている方が良い取り組みになります。
自己のビジョンが見える過程で、自己マスタリ(向上心)が明確になります。
これが前提となる関係です。
ただ、5つの領域もはっきりと区切られたものでは無いので、自己マスタリを完全に終えないと次に行けないという訳ではありません。

さて、少しさかのぼる形になりました。

学習する組織、もしくは組織活性化・職場力向上に学習する組織を活用する際にはどこから始めれば良いでしょうか。

一つのアプローチ方法は、自分の向上心の根っこを探究することになります。

向上心の根っこを探究する方法は、AIを活用するなどいろいろあります。

学習する組織(02)5つのディシプリン

学習する組織「学習する組織」を耳にすると、5つのディシプリンと言う言葉が出てきます。

ディシプリン、、、甘党の好物のようですがさにあらず。

学習領域、規律、法則、訓練、修練   が訳語です。

学習領域、くらいで捉えておきましょう。

「学習する組織」では5つの領域で特徴があります。

分析的に捉えると、「学習する組織」を目指すには5つの領域を深める、とも考えられます。

5つの領域とは、ざっくりと

システム思考

  出来事や問題の相関性や全体性を認識し対処する思考法

共有ビジョンの構築

  未来像を皆で共有し創り上げてゆくこと

メンタルモデルへの対処

  自分と自分たちの考え方や判断基準の意識化と対処

チーム学習

  一人だけで無く、チームでのお互いの学習

自己マスタリー

  個人の成長と向上、熟練、学習意欲

学習する組織(01)学習する組織とは

学習する組織「学習する組織」という言葉を耳にしたことはありますか?

マサチューセッツ工科大学のピーター・センゲが「学習する組織」という書籍としてまとめ世界的に広まりだした、組織がより良く活動するための考え方です。

センゲは、著書の中で

未来を創り出す能力を持続的に伸ばしている組織

これを「学習する組織」と言及しています。

一方今までの組織は「権威主義的なコントロールを基盤とする組織」としています。

学習する組織では5つの学習領域(ディシプリン)と3つの中核的な学習能力が大切であると説かれています。

詳細は本に譲るとして、ちょっとした説明を綴って行きましょう。

学習する組織は、職場で取り組むには一見難しい考え方が並んでいます。

しかし、もう少しひもとくと普段でも取り組めることが判ります。

例えば、システム思考をすぐに理解し導入できればそれに越したことはありません。しかし、システム思考が取り入れられている意味である

出来事を全体として(システムとして)捉える
皆で意識を同じくする
冷静に原因を探る

ことができることを目標とするならば、対話を行ったり紙やホワイトボードに出来事や問題をちょっと書き付けて皆で考えることが第一歩となります。

そして、その第一歩を踏み出すために学ぶこととしては、例えば

・ファシリテーション
・ファシリテーショングラフィック
・反省し探究する方法(反省力)

などを学んで活用すれば良いということになります。

学習する組織、そして組織学習と聞くととても難しく思えます。

しかし、宮本常一の「忘れられた日本人」の寄り合いのシーンのように、統制でなく対話で全体性を捉えた問題解決や組織の営みはできていました。

学習する組織は、「お互いが工夫し向上し続けられる組織」と言い換えることもできると考えます。

以前、ピーター・センゲが来日したときの「学習する組織」のカンファレンスを後援させていただいたこともありました。
以来、研修やコンサルティングなどのベースになる大切な考え方の一つが「学習する組織」です。
「学習する組織」になろう!、と取り組もうとすると、何をしてよいやらゴールが遠かったりします。
しかし、案外身近なものの考え方や話しあいの仕方を変える練習をすることで、組織学習、学習する組織に一歩ずつ近づいて行くことを感じています。

大人のまなび(09)「教える」から「学ぶ」

大人の学び大人のまなび、今回は学びのスタンスについて。

「教える」と「学ぶ」という言葉があります。

「教える」とは、誰かが誰かに、何かを身につけるように導くことです。

「学ぶ」とは、自分が教えを受けたり、見習ったりして何か身につけることです。

上司と部下といった関係に置き直してみましょう。

「教える」とは、上司が部下に身につけるよう導くこと。

「学ぶ」とは、部下が教えを受けたり、見習ったりして身につけること。

部下を育成する上では、「主人公」は、どちらでしょう。

教えたいのであれば、自分です。学んで欲しいと考えるのであれば、部下となります。

さて、部下を持った人、上司やリーダーは、部下に育ってもらいたいものでしょう。

「部下を育てよう」と考えると、何をするでしょうか。

いろいろと「教える」「言って聞かせる」ことを思いつくかもしれません。

確かに、何も知らない、知識が無いのであれば知識を与えるのは大きな選択肢です。

相手が知らないとなると、すぐに『教えたく』なるかもしれません。

そして、部下は新しい環境では、知らないことだらけです。

仕事をする環境、結果を出さなければならない環境にあるので、まずは何とか頑張ろうとするのではないでしょうか。

頑張るためには、頑張ることができるような「やりかた」や「意志」が大切です。

「方法」と「目的」「情熱」と言っても良いでしょう。さらに時間や労力、工夫があって結果は出て来ます。

人は、『創造的』に取り組むことができれば「やる気」が出て来ます。

創造的にということは、自分から工夫して取り組むことができれば、と言い換えることもできます。

上司は、特にできる上司は「教えたがる」タイプの人も多くいらっしゃいます。

部下に育って欲しいのであれば、「学ぶ」環境を整える方が効果的です。

教えたがる、教えっぱなし、言いっ放しは、実は『部下が育つことに手を抜いて』いるとも考えられます。

部下が育つようにと思うのであれば、言う内容やタイミング、範囲などが気になることでしょう。

もしも言いっ放しの場合は、少し極端に表現すると「言いっ放しで部下がどのように捉えても、言った内容を捉えていなくても知らない、考えるのも面倒」という思いがあるかもしれません。

部下が育って欲しい、、、、ということであれば、主人公・主語を「部下」にして、部下が「学ぶ」にはどうしたら良いだろう、と考えてみるのも良いでしょう。

「学ぶ」方法の一つとして、上司である自分が何かを「教える」ということも、あるでしょう。

さらには、教えたりすることで部下の気づきや学びを「引き出す」、学ぶよう「動機付ける」ことにも気を遣ってみてはいかがでしょうか。

大人のまなび(08)自分らしさ

大人の学び大人のまなび、今回は「自分らしさ」ことについて。

「らしさ」とは、特性・特徴・個性 ということです。

心理学者のマズローは、人が生きる・活動する欲求には、5種類あって、段階的になっていると説いています。

後年、他の人によって「マズローの欲求5段階説」としてまとめられています。

この欲求段階説では、人間は、まずは「食べる」などの生理的な欲求があり、様々な欲求が満たされてくると自己実現したいという欲求が表れると説かれています。

自己実現、何だか難しい言葉ですね。

自己実現 広辞苑では、

 自分の中にひそむ可能性を自分で見つけ、十分に発揮していくこと。また、それへの欲求。

とあります。

言い換えると、マズローは「自分の中にある、可能性、創造性といったところを見つけて発揮するようになってくる」

のが人間であると説いています。

自分は、事務計算よりも開発の方が好きだ、とか

開発は好きなんだけど、苦手と思っていた営業が実は得意だった、とか

個々人の可能性・創造性を発揮できる分野は、ひとそれぞれです。

そして、可能性・創造性を発揮できていればいるほど、「その人らしい」その人の特徴が良く表れている、ということになります。

さて子供の頃はいざ知らず、大人になってから、知ってか知らず知らずか仕事に就くことになります。

就職かもしれませんし、自営かもしれません、子供を立派に育てるとか、永久就職もあるでしょう。

どのような仕事で、どのような職務につくかは判りません。

しかし、どのような職務であったとしても、『自分の可能性・創造性を見つけて伸ばす』よう心がけると、自分も満足し、成果も出てくることとなります。

自分にとっては、自分らしさを意識して今のチャンスを全うして自分の可能性を広げて、結果を出す。

上司にとっては、部下の可能性、部下らしさを見つけて伸ばすチャンスをつくり、結果を促す。

今負っている役割の中で「自分らしいとは何か」を考えてみる。

つまり自分の創造性の実績を理解して可能性を思い描くと、大人としてどのように学び向上して行こうか思いを巡らすようになります。

自分らしさを考えることは、自分の学び、大人のまなびになると考えます。

大人のまなび(07)急がば回る良い結果

大人の学び大人のまなび、今回は「良い結果を出す」ことについて。

社会人は業務でより良い結果を出すために、日々職務を行っています。
大人の学びは、個人やチーム・組織で行う業務で良い結果を出すためと言っても良いでしょう。

会長職に退いていた松下幸之助がS39年の業績悪化時に最初に行ったことは、

 販売会社、代理店の社長さんに一人残らず集まってもらい、侃々諤々の話し合いをする

という、有名な「熱海会談」を行ったことです。

「今回の会合は日にちを切らない」
「議題はあえて用意しない」
「策はないが、とにかく徹底的に話し合う」

何か、業績回復への目標設定をすぐに行うのではありません。

共存共栄のため良く話す、ということから始めました。

この話し合いを経て、より良くなるように松下電器の体制を変えてゆくことになります。

例示からはいりましたが、組織の成功の循環(法則的なもの)について、モデル化したものが提示されています。

組織が成功するには

 関係の質 → 思考の質 → 行動の質 → 結果の質

のサイクルで良くなるとされています。

「何か問題だ」と考えたならば、良い結果となるためには、急がば回れ「関係の質」を良くする工夫が大切ということです。

そして関係の質を高めるには、「話し合いの質」を高める「ファシリテーション」が、実は良いきっかけととなります。

ファシリテーションでつかんだきっかけをバージョンアップして、会議の手順だけでなく関係質や思考の質が高まるようにすることが、遠いようで実は良い結果となる一つの策になります。

大人のまなび(06)自ら取り組む

大人の学び大人のまなび、今回は「自ら取り組む」ことについて。

私のふるさと、山口には、「夢のみずうみ村」という福祉施設がいくつかあります。

介護が必要になった方のリハビリなどを行う施設です。

この施設に通ったり、居住したりしてリハビリテーションを行います。

この施設の特長は 「 バリアアリー 」という考え方です。

聞き慣れない言葉です。「バリアフリー」なら聞いたことがありますね。
駅や公共機関などで障害を持った方へ施されている考え方です。
手すりやスロープ、エスカレーターなど、障害を持っている方もなるべく不自由なく使えるように工夫がされています。

夢のみずうみ村では、バリアを敢えて作ってリハビリに活かしています。

例えば、

施設の真ん中には、2階へと続く巨大な階段を作り富士山と命名し、登っても良いようにする。(しかも手すりはロープでつかまりにくい)
食事は、バイキング形式で、自分でよそう。
共用の机に行くのにちょっとした段差がある。
受けるサービスは自分で選ぶ。

などなど、詳しくは 夢のみずうみ村のホームページ をご覧下さい。

さて、障害を持ったとしてもそれを克服したり、さらに学んだり、向上しようとする思いは多くの方が持っています。

高齢の方でも、取り組めることがあるならば、楽しく取り組んで向上を図ることができます。

自ら取り組むために、ちょっと高いハードルを設ける、楽しく取り組むことがヒントになるようです。

この施設の目的はリハビリです、つまり自分の体が少しでも動くようになることが大切です。
そのために、今よりちょっと高いハードルで体の機能を使うことができるよう、様々なバリアーが安全に、そして自主的に使えるようになっています。
結果、楽しく体の機能や生きる活力まで戻って来ています。

心理学者のマズローは、人にとって創造性がとても重要だと指摘しています。

自ら取り組める工夫をすることは、その人の現状にかかわらず、創造性を高める鍵となるのではないでしょうか。

大人のまなび(05)直観力を鍛える

大人の学び大人のまなび、今回は脳科学からのヒントです。

理化学研究所という自然科学の総合研究所があります。

2月の機関誌に、興味深い記事が掲載されていました。

直観的思考が身につく可能性についての記事です。

直観的思考とは、一目見て正解がひらめくと言った、直観直知できるような思考力のことです。

例えば、将棋のプロ棋士が、一瞬で次の一手を打っている姿を見かけます。
直観的に最善の一手がひらめいているということでしょう。

記事では、素人でも訓練すると将棋のプロ棋士のような直感的思考回路を持つことができる、ということを示す研究結果が示されていました。

いきなり、プロのレベルの活躍ができる訳ではありませんが、訓練をすることでプロが直観的にひらめく時の神経活動と同様の神経活動が起こることが判ってきたということです。

経験学習とは、経験によって学びが進む学習です。

これを集中的に行うことで、ヒラメキが生まれてきます。

記事では、将棋を単純化したものを使って実験を行っていました。

複雑なルールよりは、単純化したものの方がヒラメくまでの習熟の時間が短いということでしょう。

話題は変わりますが、スキルなどの研修においても、学んだスキルを現場実践しようとすると、いつも状況が複雑で変化があります。
学んだことを活用できないといった悩みも伺います。

これに対するヒントも、今回の記事から読み取ることができます。

それは、複雑な環境の中でもスキルなど技量の向上はできるが時間が長くかかるということ。(誰しも気づいてはいるとは思いますが、、、)

そして、単純化した環境で訓練を行うと短時間で技量が向上すること。

記事からは離れますが、
現場で成果を上げるためには、長い時間技量向上の結果が見えにくい方法をとる方法もあります。
そして、単純な環境の中で技量を磨いて現場で応用的に使う方法も考えられます。

長い時間技量向上の結果の見えにくい中、技量向上へのサポートを続けるのは、なかなか厳しいようにも感じます。

そこで、単純な環境の中で技量を向上させ、なるべく習熟を早める工夫を行うのが現実的でしょう。

今回の記事、さらに興味深い記事があります。

相手の気持ちになって考える時の脳の働きです。

実は、私たちの研修やワークショップでは、脳の働きも活性化させて学びに結びつけています。
アイスブレイクや受け取りやすい学びの方法、脳の使い方目覚めさせ方を使うと学びの効率も変わってきます。

別の機会にご紹介できるかもしれません。

大人のまなび(04)経験にとらわれる

大人の学びブログの更新も間隔が空きましたね。
あっという間に4月です。

今日は、学びにとって大切な「経験」について。

経験を重ねると、
「より良くしよう」とか
「こうやったら効率的」とか
「この段取りが良い」などなど判ってきます。

それで、次へと活かしてゆくのですが、落とし穴もあります。

「経験しか信じない」ことです。

言い様をちょっと極端にしたのですが、過去の経験にとても重きをおくという位で捉えても良いでしょう。

こうなると、どうなるか。。。。

逆に、達人は経験をどう見ているか、ちょっと考えてみても面白いかもしれません。

この4月、大学の入学式も数多くありました。

そんな中、「いいね」が、なんと1.9万にも達した入学式の式辞があります。

東京造形大学の入学式での、諏訪学長の式辞です。

諏訪学長の式辞、全文が出ていますので興味のある方はどうぞ。≪こちらです≫

いろいろなものでも経験を積むとそれなりに知恵がついてきます。
反面、経験にとらわれることもあります。

諏訪学長は、式辞の中で自身の学生時代からの映画制作のことに触れて「経験の牢屋」にとらわれて飛躍ができなくなったことを語っています。

そして、大学での学びが知識だけではなく、「自分が自分で考えるという、人間の自由を追求する営み」への学びができる可能性に触れています。これを、大学ではだれもしらない価値を探究する自由があるとも言っています。

造形という創造を行う大学です。
創造するには、自分で考え探究することだ、その自由がこの大学にはある、ということも語っていました。

さて、企業人でも大いに参考になるのではないでしょうか。

優れた人は、経験を活かすけど、経験にとらわれすぎないようにも思えます。

ちょっと話しは違いますが、物事をフレームワークに合わせると効率的に進むけど、フレームワーク以外のことは欠落してしまうことにも似ているようです。
フレームワークが経験のところですね。

活かすけどとらわれすぎない、いつまでも子供の心でいる。。。ようにありたいですね。

大人のまなび(03)周辺からの参加

大人の学び大人のまなびの第3回です。

新人には大切な仕事は任せられません。
でも新人を育てるためには、何かをさせることが必要です。

では、何をさせるか。

ルーキーからエキスパート、初心者から匠へと育つにはどうすれば良いか。

大人が学ぶことを考える際、実際の現場の中でどのように学んでいくかを考えることが大切です。

このような時役に立つのが、

『 正統的周辺参加 』  LPP(Legitimate Peripheral Paticipation)

です。

書籍 ≪状況に埋め込まれた学習≫  も参考にして下さい。

LPPでは学習、学ぶこととはどのように捉えられているのでしょうか。

「状況に埋め込まれた学習」から拾ってみます。

・学習は社会的実践の一部である。

学習とは、学び取る、身につける、と言うよりは「世の中のためになることをやる」「仕事をする」ことである。
個人の営みではなく、属している・属したい共同体が想定されている。

勉強をしているのではなく、何かをするために結果的に勉強しているのである。

・学習とは「参加」である。

学習とは、行為する側・貢献する側であり、される側・見る側では無い。

・学習とはアイデンティティの形成過程である。

ひとりひとりの「こだわり」から出発して、皆に認められて自分の役割がはっきりする。
そして、所属する共同体へも影響を与える。

・学習とは、共同体の変化のサイクルの中にある。

新参者が少し経つと、先輩として新たな新参者の面倒を見る。
古参になると、知恵も働く。共同体への影響・発言権も増す。
古参になった人にとって学習とは、共同体の変化といっしょにあります。

LPPでは、学習、学ぶこととは、働くことと同じようなものであるとしています。

社会的実践を「働く・経験する」と言い換えると、『大人のまなび』にとって大切なのは経験のデザインや経験のために何を勉強するか(学ぶか)ということになります。

経験のデザインということとなると、、、、、キャリアデザインもちらちら見えてきます。