古典の力(11)信じられる

古典の力、日本や中国の古典からチームや組織の力を高める言葉に焦点を当てています。

第十一弾、老子から

信足らざれば、焉(ここ)に信ぜられざることあり。

支配者に誠実さが足らなければ、人民から信用されないものだ。

支配者について語った章です。
誠実さが足りないと、配下の人たちから信用されないと語っています。

上役が信用できないとなると、そこでの仕事はとたんに滞ってゆきそうです。

部下にとって信じるに足るような存在となる。

耳が痛くなりそうですが、わが身をただしてみても良いかもしれません。

古典の力(12)思いやりへの指針

古典の力、日本や中国の古典からチームや組織の力を高める言葉に焦点を当てています。

第十二弾、論語から

能く五つの者を天下に行うを仁と為す。これを請い問う。曰わく、恭寛信敏恵なり。恭なれば則ち侮られず、寛なれば則ち衆を得、信なれば則ち人任じ、敏なれば則ち功あり、恵なれば則ち以て人を使うに足る。

五つのことを世界中に行うことができたら、仁と言えるね。さらにおたずねすると、恭(うやうや)しいことと寛(おおらか)なことと信のあることと機敏なことと恵み深いことだ。恭しければ侮られず、寛であれば人望が得られ、信があれば人から頼りにされ、機敏であれば仕事ができ、恵み深ければうまく人が使えるものだ。

この内容は、どういったことを行っていることが「仁」なのか、その具体的な行動や態度の指針を示しています。

仁と言うと、小難しいようにも思えますが、ここでは「思いやり」とでも、ざっくりと定めておきます。

さて、この行動指針、仁を為すための指針として出てきていますが、リーダーとして思いやりを持って接する時の行動指針とも言えるでしょう。

恭しいこと
おおらかなこと
信頼されていること
機敏なこと
恵むこと

リーダーシップ、旗振り役としての動きの中で「思いやり」がキーワードになることも多くなってきています。
参考にしてみてはいかがでしょうか。

古典の力(13)過ち2

古典の力、日本や中国の古典からチームや組織の力を高める言葉に焦点を当てています。

第十三弾、論語 衛霊公から

過ちて改めざる、是を過ちと謂う。

過ちをしても改めない、これを本当の過ちというのだ。

過ちは、誰でも犯してしまうものです。
失敗に学ぼう、という言葉を良く聞きます。と言うことは、次回からは失敗しないようにしようということです。
同じ失敗をすると、上司、先輩からひどく怒られたことはありませんか。失敗したら何かを改めるのが肝心です。

さて、リーダー、幹部職ともなると、不思議となぜだか過ちをしても容易に改めない、過ちを無視してしまう方もいらっしゃいます。
職位が上であればあるほど、過ちを改めないことが後々の酷い過ちを呼んでしまいます。

リーダーとしては、過ちは改める。
そして、自分もチームも過たないように手を打ってゆくのが理想です。

古典の力(14)無用の用

古典の力、日本や中国の古典からチームや組織の力を高める言葉に焦点を当てています。

第十四弾、老子から

有の以て利を為すは、無の以て用を為せばなり。

形あるものが便利に使われるのは、空虚なところがその働きをするからだ。

お茶を飲む際に、湯飲みを使います。湯飲みの中の部分、水がたまりそうなところにお茶を入れて、ためて飲みます。
住む時には、家など囲われたところに住みます。壁や天井で囲われたところで雨露をしのぎます。

湯飲みが、お茶を飲むのに便利なのは空虚なところを作りだしているからです。
住居が住むのに便利なのは、人間が中で暮らしても不便無いように余裕を持った囲われた空間を作り出しているからです。

部下に指示を与えて行動や命令で満たしすぎるのではなく、形づくる外側の部分、目的やゴールやビジョンや夢を語って、その器の中で部下の行動や成果を満たすような動き方をする方がより良いのではないでしょうか。

この例えですと、湯飲みの壁が厚すぎて水の入るところがとても小さい器は、命令や規則指示が多すぎて部下の発揮できる行動や成果では少ししか満たすことができない、ということになります。

易経の十四番目の卦(か)は、「火天大有」(かてんたいゆう)と言います。
リーダーが虚心で、会長(さらに上司)や部下が有能で非常に良いチームワークがとれる、とも解される良い卦です。空虚(虚心)な方が働きを形づくられることが分かっているという古くからの知恵でしょう。

古典の力(15)道徳VS強権

古典の力、日本や中国の古典からチームや組織の力を高める言葉に焦点を当てています。

第十五弾、孟子 公孫丑篇から

力を以て仁を仮る者は覇たらん。覇は必ず大国に有(よ)るべし。徳を以て仁を行う者は王たらん。王は大を持たず。

力を背景にして仁政のまねをするものが覇者である。従って、覇者は大きな国土を地盤とする必要がある。徳によって仁政を行う者が王者である。王者になるには大きな国土による必要は無い。

強権高圧的な統治を行っている国は大国志向、そして道徳的な統治をしている国は必ずしも大きな土地を必要としない。ことを言っています。

この話の続きとして、強権的なところでは本心から従っていない、そして徳のあるところでは本心から従っている、と続きます。

強権 ・・・ 膨張志向         ・・・ 心からは従っていない ・・・ 覇者
道徳 ・・・ 膨張はどちらでも良い ・・・ 心から従っている    ・・・ 王者

単純化するとこのようになるでしょうか。

2000年以上昔のいつも戦争をしていた頃から、リーダーシップのありかたはこのように対比されてきています。

現代のチームや組織のありようにおいても参考となるでしょう。

古典の力(16)上善

古典の力、日本や中国の古典からチームや組織の力を高める言葉に焦点を当てています。

第十六弾、老子から

上善は水の若し。水は善く万物を利して争わず、衆人の悪む所に拠る、故に道に幾(ちか)し。

最上の善なるあり方は水のようなものだ。水は、あらゆる物に恵みを与えながら、争うことなく、誰もがみな厭だと思う低いところに落ち着く。だから道に近いのだ。

仕事の進行や上司やメンバーとのやりとり、「自然に、うまくいっているな」と感じることはないでしょうか。
逆に、「物事が進むのに、ぎくしゃくしてうまく進まない、進みづらい。」と感じることはないでしょうか。

ポイントを押さえて考える、指示する、行動するとうまく行くことが多いです。

ポイントとは、本質であったり、5W1Hだったり、誰かが言ったマーケティングの理論だったりします。

ポイントを押さえるととたんに流れるように動きます。

老子では、よいあり方は水のようと表現されています。
うまく進むよう、水のように流れるには、、、と考えるとものごとが動くヒントになるでしょう。

この章、次のように続きます、一部ご紹介します。

心は淵を善しとし、与(まじわ)るは仁を善しとし、言は信を善しとし、事は能を善しとし、動は時を善しとす。

心の持ち方は静かで深いのがよく、人とのつき合い方は思いやりを持つのがよく、言葉は信(まこと)であるのがよく、ものごとは成り行きに任せるのがよく、行動は時宜にかなっているのがよい。

古典の力(17)機を見る

古典の力、日本や中国の古典からチームや組織の力を高める言葉に焦点を当てています。

第十七弾、易経 繋辞下伝から

君子は機を見て作(た)つ。日を終うるを俟(ま)たず。

君子は機(事のきざし)を見て機敏に行動を起こし、一日もぐずぐずしてはいない。

リーダー、経営者が問題に対処する、よくあることだと思います。

問題が起こってから対処する、問題への対応として一般的な流れです。

病にも予防策があります。
問題への対処も、事前予防をするようになります。起こりやすいパターンに対して防護策を準備するといったことです。

問題への対応、さらに別の考え方があります。
ものごとへの兆し、事前にわずかに見えること、雨の前触れの夕焼けのようなことがらを察知して手を打つ。

先行指標(KPI:KeyPerformanceIndicator)に異常を感知したら行動に移る。

ものごとへの兆しを察知したら、洞察して手を打つ。
リーダーの観察力、洞察力の重要性を説いています。

古典の力(18)五事を正す

古典の力、日本や中国の古典からチームや組織の力を高める言葉に焦点を当てています。

第十八弾、近江聖人 中江藤樹の教えから

五事を正す

貌(ぼう) ・・・ 和やかな顔つきで人と接する

言(げん) ・・・ 温かく思いやりのある言葉で話しかける

視(し)  ・・・ 温かいまなざしで人を見、物を見る

聴(ちょう)・・・ 相手の話に心をかたむけてよく聞く

思(し)  ・・・ まごころをこめて相手のことを思う

中江藤樹は、琵琶湖の西北のほとり、近江国高島郡小川村(滋賀県高島市安曇川町)に生まれた、江戸時代初期の儒学者です。日本の陽明学の祖とも言われています。

中江藤樹は、近江聖人とも呼ばれ、現在でも藤樹先生と親しまれています。

五事とは、中江藤樹の教え、良い知恵に至るための道として説かれた、普段行うことができる五つのことです。

言われてみれば普通のことかもしれません。

しかし、彼の考え方の浸透した当時の小川村では、忘れた財布を拾った馬子が落とし主を捜し出して渡し、礼さえも受け取らないといったことまで普通に行われていました。

貌言視聴思(ぼう げん し ちょう し)を気をつける雰囲気が広がると他人を思いやる風土ができてきます。

漢語風の言葉で難しそうであれば、自分たちでなじめる言葉にしても良いでしょう。

古典の力(19)傲慢

古典の力、日本や中国の古典からチームや組織の力を高める言葉に焦点を当てています。

第十九弾、論語から

子の曰わく、如(も)し周公の才の美ありとも、驕り且つ吝(やぶさ)かならしめば、其の余は観るに足らざるのみ。

先生が言われた、「たとい周公ほどの立派な才能があったとしても、傲慢で物おしみするようなら、そのほかは目をとめる値打ちもなかろう。」

才能のある人、周りにいるかもしれません。
その人が、傲慢な場合はどうでしょうか。その人は成績が良いかもしれません。ひょっとするとその人の関わるチームも成績が良いかもしれません、それでも他のメンバは疲弊していることでしょう。

才能があったにしろ傲慢でケチであっては見るべきところは無い、傲慢もケチも人とのかかわりの中で起こります、つまりは他との良い関係が結べない人は値打ちがないとしています。

傲慢とケチ、逆にすると他の人を敬っていろいろな点で惜しむことなく共にできるようでありたいものです。

古典の力(20)明者

古典の力、日本や中国の古典からチームや組織の力を高める言葉に焦点を当てています。

第二十弾、老子から

人を知る者は智なり、自ら知る者は明なり。人に勝つ者は力有り、自ら勝つ者は強し。

他人のことが分かる者は智者であり、自分のことが分かる者は明者である。他人に打ち勝つ者は力があるが、自分に打ち勝つ者は本当に強い。

本当に力のある人とはどのような人でしょうか。
知恵があったり力があったりする人、こういった人も力のある人でしょう。

ちょっと見方を変えてみましょう。知恵や膂力が優れているという物差しとは別の物差しで測ってみます。

自分のことが分かっている人、自分のことが分かっていない人です。

自分のできること以上の事は、当然ながら自分ではできません。
時や場合、自分の職位などでできることも変わってくるでしょう。

他人のことをあれこれ言う前に自分自身のことを知りなさい、とは良く聞かれます。
自分の事(できること、やりたいこと などなど)が良く分かった人は強いです。
さらに、怠惰に押し流されることなく自分に勝つ人、明晰に考えて自分に勝っている人、克己心のある人は本当に強いですね。

すごいスポーツマンには、そのような人が多いようです。イチローがぱっと思い浮かびます。