古典の力(01)フロー

e0007672_13245679古典、日本や中国の古典には、個人を高める様々な箴言があります。
そして、チームや組織の力を高める言葉、今新たに見直されている考え方も多くあります。

チームや組織の力を高める古典の力、古典の力を活用するシリーズです。

第一弾は、論語から

巻第三

子の曰わく、これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。

知っているというのは好むのには及ばない。好むというのは楽しむのには及ばない。

知識よりも、好きこそものの上手なれ。そして、好きであることは楽しむ感覚であるのに及ばない。

楽しんで取り組むのが一番、ということです。

楽しむとものごとがうまく流れる、「フロー」の要諦を示しています。

古典の力(02)いたわる

古典の力古典の力、日本や中国の古典からチームや組織の力を高める言葉に焦点を当てています。

第二弾、論語 巻第五から

厩焚(や)けたり、子、町より退きて曰わく、人を傷(そこな)えりや。馬を問わず。

厩が焼けた。先生は朝廷からさがってくると、「人にけがは無かったか。」と言われて、馬のことは問われなかった。

事故なり、突発的なことは起こります。

「人にけがは無かったか?」「大事無いか?」

と、突発事でも自分のことを気にかけてもらっていることが判ると、どんな感じがするでしょうか。

その人について行きたくなる。
信じても良いかな。

といった感情が増してくるのではないでしょうか。

これが、突発事に「商品は大丈夫か?」「備品は大丈夫か?」のような言葉を聞いてしまうと、、、、

この人について行っても良いのかな?と疑問が湧いてきます。心が離れてゆくとも言えるでしょう。

心が離れるよりも、心が近いと感じているチームに活力はあります。

リーダーのいたわる心を示しているでしょう。

古典の力(03)思いやり

古典の力古典の力、日本や中国の古典からチームや組織の力を高める言葉に焦点を当てています。

第三弾、易経の文言伝から

元は善の長なり。君子は仁を体すれば、以って人に長たるに足り。
(げん)

元は万物を生成する始め。季節にすれば春。人間の徳で言えば仁にあたる。仁は人を愛することであるから仁は善の最高、善の長という。
人の上に立つ人は、仁愛(思いやり、慈しみ)を体現すれば人の上に立つ人として足りる。

易経は、中国に4000年も伝わる「時と兆しの専門書」です。
街角で竹ひごの束のような筮竹(ぜいちく)を使って占いをする人のに関係がありそう、、といった連想が浮かぶかもしれません。

易経の中にも、人や組織を高める言葉はたくさんあります。

孔子も仁愛は大切だとは触れていますが、はるかその前に、最高の善とする思いやりを体現した人こそが上に立つ人であると言っています。

上に立つことによる厳しさも、仁愛を踏まえないと人の上には立てないということです。

易経で示される変化の原則、徳は4つあります。 そのうちの一つ目、ものの始まり、生じる春が「元」(げん)です。

古典の力(04)本質と優先順位

古典の力古典の力、日本や中国の古典からチームや組織の力を高める言葉に焦点を当てています。

第四弾、大学から

物に本末あり、事に終始あり、先後するする所を知れば則ち道に近し。

ものごとには根本と末端とがあり、また初めと終わりとがある。何を先にして何を後にすべきかということがわかるならば、それでほぼ正しい道を得たことになるのである。

ものごとには本質・根本と枝葉末節があります。
そして、何かをするには一つしかできません。その時の優先順位が正しく判れば、ほぼ正しい道だと言っています。
リーダーシップを発揮する際、そして社会人としても、ものごとの本質を見極めて、優先順位を考えた行動は常に求められています。
ともすれば本質と優先順位は崩れることも多いかもしれません。
しかし、常に本質と優先順位を意識するよう心がければ、自分の行動もチームとしての能力も向上します。

古典の力(05)忠告

古典の力古典の力、日本や中国の古典からチームや組織の力を高める言葉に焦点を当てています。

第五弾、論語 巻第六から

子貢、友を問う。子の曰わく、忠告して善を以てこれを道びく。不可なれば則ち止む。自ら辱めらるること無かれ。

子貢が友達関係のことをたずねた。先生は言われた、「忠告して善導によって導くべきだが、きかれなければやめて、自分から恥をかくことの無いように。

友達の悪いところ、目につくことがあるでしょう。どうしても言っておきたい、忠告しておきたいという気にもなることもあるかもしれません。
忠告してよかれと思って導くのは良いけれども、聞き入れない時はやめておけ、無理強いをすると恥をかくようになる。もしくは忠告しすぎてお節介となって恥をかかされたり反発をくらってしまうことの無いように、と述べています。

伊藤仁斎は、忠告を聞き入れなかったら、しばらくやめておいて、自覚を待った方が良いと述べています。

一度忠告して聞き入れなかったら、黙っておいて自覚するのを待つ、のも良いでしょう。

他人の忠告を聞く、自分に当てはめてみて下さい。
忠告を素直に聞けるときと聞けないとき、あると思います。

聞き入れたときは聞き入れる準備ができたときです。

これは、友達での例ですが、部下への忠告も同じです。
職務で部下を注意をすることも多いと思います。
但し、いつも同じように聞き入れているとは限りません。

部下が自覚を持つような時を待つ、こういった観察をした方が良い場合も多々あります。

古典の力(06)自分から

古典の力古典の力、日本や中国の古典からチームや組織の力を高める言葉に焦点を当てています。

第六弾、大学 第一章から

天子より以て庶民に至るまで、壱に是皆身を脩むるを以て本(もと)と為す。その本乱れて末治まる者は否ず。

天子から庶民に至るまで、(どのような身分にある人でも)同じようにみなわが身をよく修めることを根本とする。その根本がでたらめでありながら、末端がよく治まっているということは無い。

組織コンサルティングや研修などで、多くの方にお会いいたします。

「まず、部下をなんとかして欲しい」
「現場の力を発揮させてほしい」
「上司のやる気を無くさせる対応を変えたい」

など、たくさんの現場の問題を伺います。

そこで、様々な個人や集団でできるやり方や考え方をお伝えしたり、体感して活用できるような場や研修をさせていただきます。

学んだことはどのように活かされるのでしょうか。

そう、 自分から何かを起こす ことで変わってゆきます。

他人にばかり期待しても、 過去と他人は変わりません。

自分の中から、学んだスキルや知識、そして心構えなどの考え方も変わって(修めて)ゆくと末端のメンバーや部・課まで治まってゆきます。

古典の力(07)リーダーの思いやり

古典の力古典の力、日本や中国の古典からチームや組織の力を高める言葉に焦点を当てています。

第七弾、中庸 第四章から

忠恕は道を違(さ)ること遠からず。諸(こ)れを己れにほどこして願わざれば、亦た人に施すことなかれ。(中略) 臣に求むる所、以て君に事うること、未だ能くせざるなり。

まごころで他人を思いやる忠恕は、身近な人の道によって人を治めることで、道の実践そのものと離れていない。(中略) 自分の家臣にこうあってほしいと望むことを、自ら行ってそれで自分の君主におつかえするということも、まだよくできていない。

職場でもビジネスにおいても、思いやりを持ちましょう、とは良く聞かれる話かもしれません。

リーダーにとって思いやりとは、どのように意識すればよいでしょうか。

リーダーの自分が「部下には、自分にこういう風に仕えてほしいな」と思うことはあると思います。

自分が望む風に、自分自身は自分の上司に仕えていますか?

上下関係における思いやりに気づくきっかけになるかもしれません。

この章、孔子が「忠恕は日常でもできると思うけど、自分がいやなことは他人にはしてはいけない。君子のような人が行う道は四つあるけど、まだ私には一つもできていない。それは、、、、」という形となります。

自分がいやなことは他人にもしない。
部下と自分の関係を思い起こして、部下に仕えて欲しいやり方で上司に仕えることを考える。

職場の縦糸の関係、思いやりの糸もちょっとした振り返りで強くなってくるでしょう。

古典の力(08)過ち

古典の力古典の力、日本や中国の古典からチームや組織の力を高める言葉に焦点を当てています。

第八弾、論語 子罕から

過てば則ち改むるに憚ることなかれ

あやまちがあれば、ぐずぐずしないで改めなさい

間違いがあっても、間違いに気づいても、なぜだか直さないリーダー、周りにいないでしょうか。
ご自身はいかがでしょうか。

間違いがあったらい、素直に「間違えた」「直すよ」「直そう」と言えるリーダーや職場の方が誠実で活気があります。

朝令暮改、いやがる人もいるかもしれません。
より正しい方向にすぐあらためることは、正しくない行動を続けるよりも良いでしょう。

もしも朝令暮改、変化を避けるような思いが起こったとしたら、

 なぜだろう

と考えてみても良いかもしれません。

その仕事がより良くあるには、「変化」は不要でしょうか、それとも、、、、

古典の力(09)育てる

古典の力古典の力、日本や中国の古典からチームや組織の力を高める言葉に焦点を当てています。

第九弾、老子から

之を生じ之を畜(やしな)い、生じて有せず、為して恃まず、長じて宰せず。是れを玄徳と謂う。

万物を生み出し、養い、育成しても所有はせず、恩沢を施しても見返りは求めず、成長させても支配はしない。これを奥深い徳という。

リーダーは部下を育てる役割があります。(背中で率いて、学ばせていることもあるでしょう)

部下を育成する、育てる、自分の部下だと見込んでいろいろと教える。よくある場面でしょう。
育てたからといって、部下を所有しているわけではありません。
見返りを求めているわけでもないでしょう。
そして、成長させた恩があるからと言って、自分に従わせるといったこともおこなわない。
これが奥深い徳だと説いています。

先輩が自分を育ててくれて、「何か恩返しを、、、」と考えて、これを言葉にすると、
「同じように部下に接してくれ」と言われることがあるそうです。

育てて、活躍して、そしてまた部下を育てる。
綿々と歴史が綴られる要諦かもしれません。

古典の力(10)察する

古典の力古典の力、日本や中国の古典からチームや組織の力を高める言葉に焦点を当てています。

第十弾、大学から

君子には挈矩(けっく)の道あるなり。上に悪むところ、以って下を使うことなく、下に悪むところ、以って上に事(つか)うることなかれ。

君子には「挈矩の道」つまり身近な一定の規準をとって広い世界を推し量るという方法がある。目上の人について厭だ思うことは、そんなやり方で召したの者を使ってはならないし、目下の者について厭だと思うことは、そんなやり方で目上の人に仕えてはならない。

自分が厭だと感じた感じ方で自分が他の人に接すると、された方も厭な思いをすることでしょう。

私も小さな頃から「自分が嫌な事は、しちゃだめ!」と親に言われたような記憶があります。
それでも、小さな頃は自分から嫌なことをしてしまったりしたこともあります。
社会人になっても、、、、、反省することしきりです。

相手の立場になって考えれば、感じれば判ることは多くあります。
相手が感じていることを体感で判って自分の行っていることに気づく練習もあります。

一定の規準を自分で読み取って、想像力で他の行動に活かせるならば、君子、になれるかは判りませんが良いことは多くあります。

以前の記事、第七弾でも似たようなことが出てきています。
思いやりは、想像力から生じるものでしょう。他の立場に立つ他者移入と言っても良いでしょう。

古典の中では、同じようなことが手を変え品を変え表現されています。
どの時点で自分が納得するかは、実は良く判りません。
冗長な内容も、様々な機会に触れてみるのも良いかもしれません。

一度読んで知っていたとしても、「それ知っているよ」と自己顕示して拒否する自我を、、、働かせないで、一拍おいて受け止めてみると、理解が深まるかもしれませんね。