組織の習い性 今回は「鈍感」です。
皆様の職場の言葉、どのような言葉が多いですか?
厳しい言葉、盛り上がる言葉、励まし合う言葉、などなど飛び交っていると思います。
「いいや、、、、、」
「だめなんじゃない、、、、」
「だめだね、、」
否定的な言葉が、まず、おもわず出てしまう職場もあります。
真っ当な指摘がある時もあるでしょう。
ただし、否定的で刺激的な言葉ばかりつづく職場だとどうなるでしょうか。
自分の家庭で、自分が子どもの頃、両親が否定的な言葉ばかりだと想像してみて下さい。
どのように反応しますか?
言葉にはしませんが、「判ったけど、もう黙っていてくれ」と自分からは黙り込んでしまう。
このような反応にもなるでしょう。
そして、否定的な言葉に対して表面的には鈍感に見えてしまう、ということになります。
職場でも同様で、否定的な言葉のオンパレードの場合は、表面的には否定的な言葉に鈍感になってしまうようになります。
従って、上司がきつく叱ったように考えても、部下としてはいつも否定的な言葉を聞いているので、それほど動かないようになります。
リーダー、管理職の皆様、叱咤激励しても部下が動かない、言葉に鈍感だと思ったら、
否定言葉を連発する
習い性が無いか、思いを巡らせてみてはいかがでしょうか。
組織の習い性 今回は「静か」です。
皆様の職場には、会話はあふれていますか?
ちょとしたことが判らなくて「ここが判らないんですが・・・」とか、「どーしたの?」。
はたまた「それは、XXさんが良く知っているんじゃないかな」「それは、僕がやっておこうか」等々
静か、 静かなのは、例えば会話、行動、自分から行うちょっとした協力などなど、
音量もありますし、消極性と表現されるものもあります。
もしも、新入社員の時、積極的で会話の多かった人が、あまりしゃべらなくなり、行動も消極的になったとすれば、、、、
諸先輩方が、積極さを消極へと行動変容させてしまう何かを行っている可能性があります。
押さえつけ、任せない、、、、典型的な言葉としては、「だめだね」といった否定の言葉。
これが繰り返されると、積極的に行っても「甲斐がない」と学習して、、、
静かな職場 になります。
言い換えると、活気のない職場です。
組織活動としても、上司が思うほどには部下が動かない、こういった職場になります。
職場は、静か、、、、ですか? それは、消極性を表してはいませんか?
観察してみても良いかもしれません。
組織の習い性、今回は思考停止です。
あまりに「××過ぎると」考えるのもままならない、という状態になってしまいがちです。
忙しすぎると、厳しすぎると、変化がなさ過ぎると、、、、
「だめだめ」「だめじゃないか」といった『否定』の言葉が過ぎるとどうなるでしょう。
何をやって良いか判らなくなってきます。
そして、考えるのをやめようかとしてしまいます。
思考停止です。
思考停止は、行動の停止も呼びます。
さらに、目的や理由を考えない行動も呼び起こします。
思考停止の組織では、抑圧的な環境のことが多くあります。
だめだしをしても不屈の闘志を持つ人や、愛情を持って厳しくして何かのサポートを行っている職場やリーダーも多くいらっしゃいます。
しかし、「だめ」といった否定が思考停止の悪循環、生産性の妨げとなっている例が多くあります。
そして、コミュニケーションが比較的苦手な人への多くの否定的な言葉は、立ち直るきっかけさえ無くなってしまう可能性があります。
優しくしすぎる甘えの環境が良い訳ではありませんが、職位が上の方であればあるほど相手のことを慮る、優しさや理性に基づいた行動が必要です。
逆に、理性や思いやりの無い感情のみの言葉、投げかけていませんか。
省みても良いかもしれません。
組織の習い性、今回は「従順」です。
皆さんの職場では、指示は行き渡っていますか?
そして実行されていますか?
指示が行き渡る、そして実行される。これはこれで、良いようにも思えます。
しかし、指示が行き渡り、実行はされるけど、、、、、、
それ以上の事がない。
ということは無いでしょうか。
こういった時は、上意下達で抑圧されている状態、の可能性があります。
もっと創造的に、上司の指示をも飲み込んだ動き、が出てこない。
自分の守備範囲で良い、他の部署とのコミュニケーションも無くて良い、というように普段から感じている場合もあります。
自分にもまわりにも、様々な「許可」が大切なのかもしれません。
言われたことだけを行っているという状態は、
・変化に対応できなくなる
・指示が目的などを汲んだ自主的な動きができない
・他人の責任を指摘しがちとなる
などの症状も併発している可能性があります。
気がつけば個人レベル、チームレベルなどで様々な対処ができます。
組織の習い性4回目です。
社内で、「・・・しても良いですか?」といった言葉、耳にすると思います。
許可の問い合わせですね。
良くある話です。
しかし、『非常に多く』許可の問い合わせが行き交うチーム・組織とはどのような状態でしょうか。
許可を得なければ、もしくは事を起こすのに誰かに責任を負ってもらうことを証明してもらわないと動けない状態が想像できます。
これは、裁量が狭い状態、さらには上長などの職務権力が高圧的な可能性が大きい状態です。
いわゆる「上意下達の習い性」です。
ちなみに、何度もコメントしますが、上意下達が悪いわけではありません。
「上意下達などで『抑圧』されている時の習い性」がより正確な表現でしょう。
こうなると、
メンバーの裁量や動きが許可を得ないと動けないので、動きが遅くなる狭くなる
↓
組織が動きが制限される
↓
会社の動きが遅くなる、制限される。
といった構図になってきます。
こんな時は、どうすれば良いでしょうか。
「いいよ」 とか 「イイね!」 と言ってみて下さい。
許可をどんどん与える訳です。
当然許可する責任は負うことを意識して下さい。
さらに進むと、「許可をとらずにどんどんやれ」とするのが良いでしょう。
但し、メンバーが自分の職務範囲でやることについてです。
職務範囲を逸脱しそうな、した場合は、、、、上長の腹のくくり方次第です。
さらに改善の状態を進めるには、、、、その時は考えてみて下さい。
すでに許可も出して、腹もくくっていると思います。いろいろな道があることでしょう。
古典の力、日本や中国の古典からチームや組織の力を高める言葉に焦点を当てています。
第十弾、大学から
君子には挈矩(けっく)の道あるなり。上に悪むところ、以って下を使うことなく、下に悪むところ、以って上に事(つか)うることなかれ。
君子には「挈矩の道」つまり身近な一定の規準をとって広い世界を推し量るという方法がある。目上の人について厭だ思うことは、そんなやり方で召したの者を使ってはならないし、目下の者について厭だと思うことは、そんなやり方で目上の人に仕えてはならない。
自分が厭だと感じた感じ方で自分が他の人に接すると、された方も厭な思いをすることでしょう。
私も小さな頃から「自分が嫌な事は、しちゃだめ!」と親に言われたような記憶があります。
それでも、小さな頃は自分から嫌なことをしてしまったりしたこともあります。
社会人になっても、、、、、反省することしきりです。
相手の立場になって考えれば、感じれば判ることは多くあります。
相手が感じていることを体感で判って自分の行っていることに気づく練習もあります。
一定の規準を自分で読み取って、想像力で他の行動に活かせるならば、君子、になれるかは判りませんが良いことは多くあります。
以前の記事、第七弾でも似たようなことが出てきています。
思いやりは、想像力から生じるものでしょう。他の立場に立つ他者移入と言っても良いでしょう。
古典の中では、同じようなことが手を変え品を変え表現されています。
どの時点で自分が納得するかは、実は良く判りません。
冗長な内容も、様々な機会に触れてみるのも良いかもしれません。
一度読んで知っていたとしても、「それ知っているよ」と自己顕示して拒否する自我を、、、働かせないで、一拍おいて受け止めてみると、理解が深まるかもしれませんね。
古典の力、日本や中国の古典からチームや組織の力を高める言葉に焦点を当てています。
第九弾、老子から
之を生じ之を畜(やしな)い、生じて有せず、為して恃まず、長じて宰せず。是れを玄徳と謂う。
万物を生み出し、養い、育成しても所有はせず、恩沢を施しても見返りは求めず、成長させても支配はしない。これを奥深い徳という。
リーダーは部下を育てる役割があります。(背中で率いて、学ばせていることもあるでしょう)
部下を育成する、育てる、自分の部下だと見込んでいろいろと教える。よくある場面でしょう。
育てたからといって、部下を所有しているわけではありません。
見返りを求めているわけでもないでしょう。
そして、成長させた恩があるからと言って、自分に従わせるといったこともおこなわない。
これが奥深い徳だと説いています。
先輩が自分を育ててくれて、「何か恩返しを、、、」と考えて、これを言葉にすると、
「同じように部下に接してくれ」と言われることがあるそうです。
育てて、活躍して、そしてまた部下を育てる。
綿々と歴史が綴られる要諦かもしれません。
古典の力、日本や中国の古典からチームや組織の力を高める言葉に焦点を当てています。
第八弾、論語 子罕から
過てば則ち改むるに憚ることなかれ
あやまちがあれば、ぐずぐずしないで改めなさい
間違いがあっても、間違いに気づいても、なぜだか直さないリーダー、周りにいないでしょうか。
ご自身はいかがでしょうか。
間違いがあったらい、素直に「間違えた」「直すよ」「直そう」と言えるリーダーや職場の方が誠実で活気があります。
朝令暮改、いやがる人もいるかもしれません。
より正しい方向にすぐあらためることは、正しくない行動を続けるよりも良いでしょう。
もしも朝令暮改、変化を避けるような思いが起こったとしたら、
なぜだろう
と考えてみても良いかもしれません。
その仕事がより良くあるには、「変化」は不要でしょうか、それとも、、、、
古典の力、日本や中国の古典からチームや組織の力を高める言葉に焦点を当てています。
第七弾、中庸 第四章から
忠恕は道を違(さ)ること遠からず。諸(こ)れを己れにほどこして願わざれば、亦た人に施すことなかれ。(中略) 臣に求むる所、以て君に事うること、未だ能くせざるなり。
まごころで他人を思いやる忠恕は、身近な人の道によって人を治めることで、道の実践そのものと離れていない。(中略) 自分の家臣にこうあってほしいと望むことを、自ら行ってそれで自分の君主におつかえするということも、まだよくできていない。
職場でもビジネスにおいても、思いやりを持ちましょう、とは良く聞かれる話かもしれません。
リーダーにとって思いやりとは、どのように意識すればよいでしょうか。
リーダーの自分が「部下には、自分にこういう風に仕えてほしいな」と思うことはあると思います。
自分が望む風に、自分自身は自分の上司に仕えていますか?
上下関係における思いやりに気づくきっかけになるかもしれません。
この章、孔子が「忠恕は日常でもできると思うけど、自分がいやなことは他人にはしてはいけない。君子のような人が行う道は四つあるけど、まだ私には一つもできていない。それは、、、、」という形となります。
自分がいやなことは他人にもしない。
部下と自分の関係を思い起こして、部下に仕えて欲しいやり方で上司に仕えることを考える。
職場の縦糸の関係、思いやりの糸もちょっとした振り返りで強くなってくるでしょう。
古典の力、日本や中国の古典からチームや組織の力を高める言葉に焦点を当てています。
第六弾、大学 第一章から
天子より以て庶民に至るまで、壱に是皆身を脩むるを以て本(もと)と為す。その本乱れて末治まる者は否ず。
天子から庶民に至るまで、(どのような身分にある人でも)同じようにみなわが身をよく修めることを根本とする。その根本がでたらめでありながら、末端がよく治まっているということは無い。
組織コンサルティングや研修などで、多くの方にお会いいたします。
「まず、部下をなんとかして欲しい」
「現場の力を発揮させてほしい」
「上司のやる気を無くさせる対応を変えたい」
など、たくさんの現場の問題を伺います。
そこで、様々な個人や集団でできるやり方や考え方をお伝えしたり、体感して活用できるような場や研修をさせていただきます。
学んだことはどのように活かされるのでしょうか。
そう、 自分から何かを起こす ことで変わってゆきます。
他人にばかり期待しても、 過去と他人は変わりません。
自分の中から、学んだスキルや知識、そして心構えなどの考え方も変わって(修めて)ゆくと末端のメンバーや部・課まで治まってゆきます。