古典の力(13)過ち2

古典の力、日本や中国の古典からチームや組織の力を高める言葉に焦点を当てています。

第十三弾、論語 衛霊公から

過ちて改めざる、是を過ちと謂う。

過ちをしても改めない、これを本当の過ちというのだ。

過ちは、誰でも犯してしまうものです。
失敗に学ぼう、という言葉を良く聞きます。と言うことは、次回からは失敗しないようにしようということです。
同じ失敗をすると、上司、先輩からひどく怒られたことはありませんか。失敗したら何かを改めるのが肝心です。

さて、リーダー、幹部職ともなると、不思議となぜだか過ちをしても容易に改めない、過ちを無視してしまう方もいらっしゃいます。
職位が上であればあるほど、過ちを改めないことが後々の酷い過ちを呼んでしまいます。

リーダーとしては、過ちは改める。
そして、自分もチームも過たないように手を打ってゆくのが理想です。

古典の力(12)思いやりへの指針

古典の力、日本や中国の古典からチームや組織の力を高める言葉に焦点を当てています。

第十二弾、論語から

能く五つの者を天下に行うを仁と為す。これを請い問う。曰わく、恭寛信敏恵なり。恭なれば則ち侮られず、寛なれば則ち衆を得、信なれば則ち人任じ、敏なれば則ち功あり、恵なれば則ち以て人を使うに足る。

五つのことを世界中に行うことができたら、仁と言えるね。さらにおたずねすると、恭(うやうや)しいことと寛(おおらか)なことと信のあることと機敏なことと恵み深いことだ。恭しければ侮られず、寛であれば人望が得られ、信があれば人から頼りにされ、機敏であれば仕事ができ、恵み深ければうまく人が使えるものだ。

この内容は、どういったことを行っていることが「仁」なのか、その具体的な行動や態度の指針を示しています。

仁と言うと、小難しいようにも思えますが、ここでは「思いやり」とでも、ざっくりと定めておきます。

さて、この行動指針、仁を為すための指針として出てきていますが、リーダーとして思いやりを持って接する時の行動指針とも言えるでしょう。

恭しいこと
おおらかなこと
信頼されていること
機敏なこと
恵むこと

リーダーシップ、旗振り役としての動きの中で「思いやり」がキーワードになることも多くなってきています。
参考にしてみてはいかがでしょうか。

古典の力(11)信じられる

古典の力、日本や中国の古典からチームや組織の力を高める言葉に焦点を当てています。

第十一弾、老子から

信足らざれば、焉(ここ)に信ぜられざることあり。

支配者に誠実さが足らなければ、人民から信用されないものだ。

支配者について語った章です。
誠実さが足りないと、配下の人たちから信用されないと語っています。

上役が信用できないとなると、そこでの仕事はとたんに滞ってゆきそうです。

部下にとって信じるに足るような存在となる。

耳が痛くなりそうですが、わが身をただしてみても良いかもしれません。

古典の力(10)察する

古典の力古典の力、日本や中国の古典からチームや組織の力を高める言葉に焦点を当てています。

第十弾、大学から

君子には挈矩(けっく)の道あるなり。上に悪むところ、以って下を使うことなく、下に悪むところ、以って上に事(つか)うることなかれ。

君子には「挈矩の道」つまり身近な一定の規準をとって広い世界を推し量るという方法がある。目上の人について厭だ思うことは、そんなやり方で召したの者を使ってはならないし、目下の者について厭だと思うことは、そんなやり方で目上の人に仕えてはならない。

自分が厭だと感じた感じ方で自分が他の人に接すると、された方も厭な思いをすることでしょう。

私も小さな頃から「自分が嫌な事は、しちゃだめ!」と親に言われたような記憶があります。
それでも、小さな頃は自分から嫌なことをしてしまったりしたこともあります。
社会人になっても、、、、、反省することしきりです。

相手の立場になって考えれば、感じれば判ることは多くあります。
相手が感じていることを体感で判って自分の行っていることに気づく練習もあります。

一定の規準を自分で読み取って、想像力で他の行動に活かせるならば、君子、になれるかは判りませんが良いことは多くあります。

以前の記事、第七弾でも似たようなことが出てきています。
思いやりは、想像力から生じるものでしょう。他の立場に立つ他者移入と言っても良いでしょう。

古典の中では、同じようなことが手を変え品を変え表現されています。
どの時点で自分が納得するかは、実は良く判りません。
冗長な内容も、様々な機会に触れてみるのも良いかもしれません。

一度読んで知っていたとしても、「それ知っているよ」と自己顕示して拒否する自我を、、、働かせないで、一拍おいて受け止めてみると、理解が深まるかもしれませんね。

古典の力(09)育てる

古典の力古典の力、日本や中国の古典からチームや組織の力を高める言葉に焦点を当てています。

第九弾、老子から

之を生じ之を畜(やしな)い、生じて有せず、為して恃まず、長じて宰せず。是れを玄徳と謂う。

万物を生み出し、養い、育成しても所有はせず、恩沢を施しても見返りは求めず、成長させても支配はしない。これを奥深い徳という。

リーダーは部下を育てる役割があります。(背中で率いて、学ばせていることもあるでしょう)

部下を育成する、育てる、自分の部下だと見込んでいろいろと教える。よくある場面でしょう。
育てたからといって、部下を所有しているわけではありません。
見返りを求めているわけでもないでしょう。
そして、成長させた恩があるからと言って、自分に従わせるといったこともおこなわない。
これが奥深い徳だと説いています。

先輩が自分を育ててくれて、「何か恩返しを、、、」と考えて、これを言葉にすると、
「同じように部下に接してくれ」と言われることがあるそうです。

育てて、活躍して、そしてまた部下を育てる。
綿々と歴史が綴られる要諦かもしれません。

古典の力(08)過ち

古典の力古典の力、日本や中国の古典からチームや組織の力を高める言葉に焦点を当てています。

第八弾、論語 子罕から

過てば則ち改むるに憚ることなかれ

あやまちがあれば、ぐずぐずしないで改めなさい

間違いがあっても、間違いに気づいても、なぜだか直さないリーダー、周りにいないでしょうか。
ご自身はいかがでしょうか。

間違いがあったらい、素直に「間違えた」「直すよ」「直そう」と言えるリーダーや職場の方が誠実で活気があります。

朝令暮改、いやがる人もいるかもしれません。
より正しい方向にすぐあらためることは、正しくない行動を続けるよりも良いでしょう。

もしも朝令暮改、変化を避けるような思いが起こったとしたら、

 なぜだろう

と考えてみても良いかもしれません。

その仕事がより良くあるには、「変化」は不要でしょうか、それとも、、、、

古典の力(07)リーダーの思いやり

古典の力古典の力、日本や中国の古典からチームや組織の力を高める言葉に焦点を当てています。

第七弾、中庸 第四章から

忠恕は道を違(さ)ること遠からず。諸(こ)れを己れにほどこして願わざれば、亦た人に施すことなかれ。(中略) 臣に求むる所、以て君に事うること、未だ能くせざるなり。

まごころで他人を思いやる忠恕は、身近な人の道によって人を治めることで、道の実践そのものと離れていない。(中略) 自分の家臣にこうあってほしいと望むことを、自ら行ってそれで自分の君主におつかえするということも、まだよくできていない。

職場でもビジネスにおいても、思いやりを持ちましょう、とは良く聞かれる話かもしれません。

リーダーにとって思いやりとは、どのように意識すればよいでしょうか。

リーダーの自分が「部下には、自分にこういう風に仕えてほしいな」と思うことはあると思います。

自分が望む風に、自分自身は自分の上司に仕えていますか?

上下関係における思いやりに気づくきっかけになるかもしれません。

この章、孔子が「忠恕は日常でもできると思うけど、自分がいやなことは他人にはしてはいけない。君子のような人が行う道は四つあるけど、まだ私には一つもできていない。それは、、、、」という形となります。

自分がいやなことは他人にもしない。
部下と自分の関係を思い起こして、部下に仕えて欲しいやり方で上司に仕えることを考える。

職場の縦糸の関係、思いやりの糸もちょっとした振り返りで強くなってくるでしょう。

古典の力(06)自分から

古典の力古典の力、日本や中国の古典からチームや組織の力を高める言葉に焦点を当てています。

第六弾、大学 第一章から

天子より以て庶民に至るまで、壱に是皆身を脩むるを以て本(もと)と為す。その本乱れて末治まる者は否ず。

天子から庶民に至るまで、(どのような身分にある人でも)同じようにみなわが身をよく修めることを根本とする。その根本がでたらめでありながら、末端がよく治まっているということは無い。

組織コンサルティングや研修などで、多くの方にお会いいたします。

「まず、部下をなんとかして欲しい」
「現場の力を発揮させてほしい」
「上司のやる気を無くさせる対応を変えたい」

など、たくさんの現場の問題を伺います。

そこで、様々な個人や集団でできるやり方や考え方をお伝えしたり、体感して活用できるような場や研修をさせていただきます。

学んだことはどのように活かされるのでしょうか。

そう、 自分から何かを起こす ことで変わってゆきます。

他人にばかり期待しても、 過去と他人は変わりません。

自分の中から、学んだスキルや知識、そして心構えなどの考え方も変わって(修めて)ゆくと末端のメンバーや部・課まで治まってゆきます。

古典の力(05)忠告

古典の力古典の力、日本や中国の古典からチームや組織の力を高める言葉に焦点を当てています。

第五弾、論語 巻第六から

子貢、友を問う。子の曰わく、忠告して善を以てこれを道びく。不可なれば則ち止む。自ら辱めらるること無かれ。

子貢が友達関係のことをたずねた。先生は言われた、「忠告して善導によって導くべきだが、きかれなければやめて、自分から恥をかくことの無いように。

友達の悪いところ、目につくことがあるでしょう。どうしても言っておきたい、忠告しておきたいという気にもなることもあるかもしれません。
忠告してよかれと思って導くのは良いけれども、聞き入れない時はやめておけ、無理強いをすると恥をかくようになる。もしくは忠告しすぎてお節介となって恥をかかされたり反発をくらってしまうことの無いように、と述べています。

伊藤仁斎は、忠告を聞き入れなかったら、しばらくやめておいて、自覚を待った方が良いと述べています。

一度忠告して聞き入れなかったら、黙っておいて自覚するのを待つ、のも良いでしょう。

他人の忠告を聞く、自分に当てはめてみて下さい。
忠告を素直に聞けるときと聞けないとき、あると思います。

聞き入れたときは聞き入れる準備ができたときです。

これは、友達での例ですが、部下への忠告も同じです。
職務で部下を注意をすることも多いと思います。
但し、いつも同じように聞き入れているとは限りません。

部下が自覚を持つような時を待つ、こういった観察をした方が良い場合も多々あります。

古典の力(04)本質と優先順位

古典の力古典の力、日本や中国の古典からチームや組織の力を高める言葉に焦点を当てています。

第四弾、大学から

物に本末あり、事に終始あり、先後するする所を知れば則ち道に近し。

ものごとには根本と末端とがあり、また初めと終わりとがある。何を先にして何を後にすべきかということがわかるならば、それでほぼ正しい道を得たことになるのである。

ものごとには本質・根本と枝葉末節があります。
そして、何かをするには一つしかできません。その時の優先順位が正しく判れば、ほぼ正しい道だと言っています。
リーダーシップを発揮する際、そして社会人としても、ものごとの本質を見極めて、優先順位を考えた行動は常に求められています。
ともすれば本質と優先順位は崩れることも多いかもしれません。
しかし、常に本質と優先順位を意識するよう心がければ、自分の行動もチームとしての能力も向上します。